思い出の箱                                2017.年10月28日
60年前の羽田と伊丹

思い出の箱は航空ファンではありませんが、こんな写真のネガがありました。

まず 東京国際空港 (羽田) です。 


                          この写真のみ卒業アルバムから転載
空港見学の修学旅行生  (我が中学校)   1960年(昭和35年)5月17日   





ノースウェスト航空     ダグラスDC-7C      1960年 (昭和35年) 撮影

 当時のダグラス社の新鋭機 7CはSEVEN SEAS (7つの海)のひっかけ言葉で
長距離大型旅客機であった。日本航空では東京からホノルルの直行便に使用した。

「あっ! これねプロペラ機ですよ。」  




最後の大型プロペラ旅客機となり、 まもなくジェットの時代が来ます。



                                               1960年 撮影
日本航空 国内便  ダグラス DC 4 機  愛称「浅間」 JA6014
このシリーズを日本航空は山の名を愛称にしてました。
巡航速度 365km/h   86席



                                 1960年 撮影
朝に箱根を出発し、観光バスで芦ノ湖 鎌倉 そして羽田、東京本郷で
一泊しました。 高速道路の無かった時代でほとんど国道1号線を走りました。


それより数年前の写真だと思いますが、
父親が残したネガをスキャンしました。



日本航空 DC-4 と パンアメリカン航空 B-377 (ストラトクルーザー)    (羽田で撮影)


拡大写真


ボーイング B 377
2階建ての「空飛ぶホテル」のキゃッチフレーズで一世風靡した。
2階は組立てベッドのある旅客席 1階はバーやラウンジが設備されていた。 
この写真はほとんど終焉期だと思われます。

元々は爆撃機B29を輸送機に改造それを大型長距離旅客機にしたものです。


拡大写真


日本航空 DC 4  戦後の日本航空の主力機の一つで

この飛行機も由来は米軍の輸送機で戦後民間に払い下げられ発展しました。


大仏航空切手  1953年発行

現在は国内便も飛行機で送られますが、戦前戦後
の一時期、国内航空郵便制度があって、航空切手
がありました。 普通便にも使えますが、航空便に
合わせた切手があり70円 80円 115円 145円
の4種類がありました。 1953年に制度が無くなり
ました。 現在、国際郵便に制度が残ってます。  .

この切手には DC 4 型機が描かれてます。

他に立山連峰や五重塔のデザインもあり
これらにもDC4が描かれて発行されました。






コンベア880  愛称 KIKYO (桔梗)      1964年(昭和39年)  羽田にて親族撮影

日本航空が国内のジェット化の第一弾として導入した機集です。
このシリーズは他に 桜 菊 松 など植物名を愛称にしました。
ただ騒音と燃費が悪く、活躍は短かったです。





羽田にて                     1973年頃 親族撮影

これが噂のピーナッツ事件の、 と言ってもピーナッツリターン事件では無く
日本であった贈収賄事件で有名になったロッキード・トライスターL1011です。

軍用機で強かったロッキード社が社運を賭けた旅客機です。
愛称はトライスター(三ツ星)で3発ジェットの今で言う超ハイテク機だった




羽田の整備場に並んだ飛行機   左から DC8  B727  ジャンボB747




東亜国内航空 (TDA)  ダグラスDC-9      1973年 親族撮影

高い経済性により売れに売れた飛行機で1965年から1982年で976機が
製造されました。 ただ売れすぎて経営が行き詰ったというオチが付いたとか。



そして伊丹飛行場です。 (大阪国際空港 1963年頃)



東亜航空 コンベア CV240              1963年(昭和38)頃撮影
巡航速度 451km (小さいけれど高速です)   40人乗り

1953年広島で設立された東亜航空はその後日本国内航空と合併し
東亜国内航空(TDA)から日本エアーシステム(JAS)へとつながっていきます。

機体番号 JA5130のこの機体は1969年(昭和44年)に引退後
富山 岐阜 静岡など広告塔や看板として放浪し、現在は三重県に保存
されているらしいです。 WEB上で紹介されています。 詳しく知りたい方は
ページ最後にURLを紹介しております。                      .


上の写真に見える搭乗用タラップのを画像を    
横に引き延ばすと、全日空のロゴとネーム
はっきりとわかります。         .

 どの機種のタラップなのか興味は尽きません。   
航空ファンの方なら御存知なんでしょうが。  


全日空は1958年(S33)に
日本ペリコプター輸送と極東航空が合併して  
誕生し、その時日ぺリの社章が引き継がれ
ました。 当時はANAなどと言ったのだろうか。  





広ーい!伊丹空港            1963年 親族撮影
この写真の当時はターミナルビルが無く、このように地上から撮影出来ました。 

6年後の1969年 大阪での1年後の日本万国博覧会を控えて
現在のターミナルビルが建設され名実とも大阪国際空港が完成します。

日本航空 DC 6B   JA6202号  愛称 CITY OF KYOTO

1947年(昭和22年)から1959年(昭和34年)まで約700機が作られた
ベストセラー機である。 日本航空の主力機で1969年(昭和44年)に退役しました。
このシリーズは日本の都市名を付けて CITY OF FUKUOKA などとしました。

巡航 407km/h  全長 30.66mから32.18m  国内用 95席


メールはこちらへ             END

.                  鉄道写真がいっぱいの 思い出の箱 総目次へ   

アクセスカウンター


       

このページを作るにあたり、各飛行機の説明はほとんどを
ウィキペディア他 WEB上の情報を元に記述しました。 
特に
コンベアCV240の経緯は日本民間航空の歴史のページから
日本ヘリコプター輸送の社章は(財)日本航空協会のページから
転載いたしました。          .
出来るだけ記述に正確性を心がけていますが、ご指摘があれば
どうぞメールにてお知らせください。                 .


2017.10.31   公開