思いでの箱                                平成18年8月27日 撮影
国鉄気動車キハ40と亀山宿

久しく聞いていない旧国鉄のディーゼル車の振動と音を、体験したいものと思い
大阪から比較的近い関西本線亀山駅へと向いました。 亀山は東海道の宿場町。

今も残る宿場の風情を併せてレポートいたします。                
  .

  2015年12月18日  JR東海 発表の記事ををyahooニュースで見ました。
2016年3月26日のダイヤ改正により キハ40系ディーゼル車は無くなります。
これでJR東海管内では、旧国鉄車両が見られなくなるということです。




亀山発 参宮線鳥羽行 普通列車がホームで待ってくれていました。
キハ40 3005号車



信号は出発。 心地よいエンジンのうなりとオイルのにおい。




本当に久しぶりの旧国鉄車はもっと古ぼけた感じだと思っていましたが、
以外や明るい感じでスッキリしていて気持ちが良かったです。     
 、




一身田駅で対向車と交換のため待機、遅延のため10分ほど停車。
いしんでんと読みます。                    .




駅員さんに言ってちょっと駅舎をスナップ。 




遅れてやってきた列車も旧国鉄車。こちらはキハ48 6816、向こうもキハ48でした。




高茶屋駅でも対向列車遅延で大幅な時間待ち。 ここで亀山に戻ることにしました。




軽快なエンジン音を響かせ次の六軒駅へ出発。




待避線から本線に出るとエンジンをパワーアップ、黒煙をたなびかせて去ってゆきました。



亀山駅の印象



がらんとしたホーム、 名古屋方面に向う電車が待機



昔日の華やかな時の面影を残す駅の表情に、一抹の寂しさが漂います。


関西本線と紀勢本線や参宮線(伊勢神宮方面)への分岐点だった亀山は機関区も
あって鉄道の町でした。また城下町、宿場町として古くから栄えました。そして現在は
有名な亀山ローソクのほか、シャープの液晶テレビ「亀山モデル」の名は世界に飛躍
しています。とは言え亀山駅の寂しさは覆い隠すべくもありませんでした。       .


一人ごと


 最終列車だというと駅で、○○○有難う! 等と叫んで大騒ぎする人がいますね。
そしてやたら写真を撮る人も。 いい写真を撮ったり、また見たい人はその日でなく、
早めに行っていいポイントで静かにエンジン音や風情を楽しめばいいのにね。
などといつも思いますが。

東海道五十三次の宿場町 「亀山宿」




街道を西にたどれば次の関宿を過ぎて鈴鹿の峠越え、京へはあと一息。







東海道 停車場の文字を刻んだ道標



石の道標の裏側

たいそう古いものを見た気がしましたが、大正3年と言えば1914年、たった
92年前のことです、現在92才の人なんていくらでもいらっしゃいますよね。 .
    
ちょっと調べてみますと、この地に鉄道が敷かれたのは1890年(明治23年)
大阪から名古屋に通じたのは1900年(明治33年)とのこと、いまから100年.
前のことになります。                                
 .




街道筋の家々にこんな木札が数え切れぬほど掛けられています。














広重の東海道五十三次から


ふもとの宿場町から大名行列が雪の坂道を京口門を目指して登ってきます。




江戸の浮世絵師 安藤広重の亀山はこのあたりから描かれています。

木立が京口門のそばで 道路が前方に走っています。ガードレールの切れる
あたりに橋の欄干が見えますがそこは深い谷になっていて、かつては旅人は
向こうからいったん下って、小川を越えて急な坂道をこちらに登ってきます。 

それにしても広重、よくここまでデフォルメするものだとあきれたり、 さすがに
絵作りがうまいと感心したりして、しばしの間、広重と会話しているような気に 
なりました。                                       .


キハ40型気動車と東海道亀山宿        END

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制作  2006.8.31.