思い出の箱 | 2013年 1月25日 改訂 1967年(昭和42)9月6日 撮影 |
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![]() 交友社 「100年の国鉄車両」 から |
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C55型の第2次型は昭和10年前後の 世界のブームだった流線型を取り入れました。 しかし100km/h以下では空力的にあまり 効果がなく、保守も煩雑で現場には不評 だったことから、20号から40号機までとし 41〜62号機まで普通型で製造されました。 また流線型は写真の25号機のように普通型に戻すべく改造されました。 |
北海道のアイヌ語をルーツとする地名が多い中、美しい日本語とも言える【苗穂】は深く 考えなくても 北の大地に稲が丈夫に育つようにとの願いをこめて開拓した人が付けたに 違いないと思いました。 . 歴史上でも1866年に幕府が苗穂に模範農場を開設していて、明治になってビールの醸造 味噌醤油 製糸 製糖 などの工場群が苗穂に出来て、現在の雪印やサッポロビール などに繋がっていて農業の原点になっています . ところが実際は違って、アイヌ語で(小さな川=ナイ・ポ)だそうです。 それならばと苫小牧近く勇払原野の真ん中にある植苗(うえなえ)を調べてみると (悪い川=ウェン・ナイ)ですって。 一時有名になった幸福駅 これも単純な話では 無さそうです。 興味あれば調べてください。 . |
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