思いでの箱           1966年(昭41)3月21日 撮影
                              平成29年8月29日 プロペラ船部分を加筆
紀勢本線プロペラ船



       天王寺発 新宮行き   急行 南紀      周参見駅 (すさみ)

この列車は面白い運用がされていました。

国鉄天王寺 南紀 → 東和歌山 ⇒ (併結) ⇒ 白浜 → → 新宮
.      ↑                ↓
南海電鉄 難波 きのくに号 南海本線 経由      きのくに号終点        

南海電鉄 難波からと 国鉄天王寺からの列車を東和歌山駅で併結して白浜まで走りました。 注1
 
東和歌山駅は現在の和歌山駅、当時の和歌山駅は現在紀和駅と呼ばれています。



           和歌山方面行き普通列車    C58 235号機  (田辺区所属)
   
この2枚の写真は同じ駅で撮ったものです。 我々の乗った白浜から串本に向かう列車が
後続の準急「南紀」を退避している間に撮ったものです。どこの駅かは分かりません。 

注2  読者のアドバイスにより
周参見駅(すさみ)と確認しました。 H25.1.24


  


                        潮岬に向かうバスの車窓から見た47年前の串本町

ここから南へ1Km程に本州最南端の潮岬があります。 当時 印象に残ったのは、
さすがに台風の常襲地なのでしょう。屋根に石を載せた家屋や倉庫がたくさん見られた
ことでした。数年前に再び訪れた時は街は様変わりしていました。            .





  ♪ 向かいは大島、仲を取り持つ巡航船  (串本節)  そして 橋杭岩(はしくい岩)   
紀勢本線の車窓から眺めました。

                                     
      瀞峡のプロペラ船  1966年(S41)3月撮影

昭和40年代に消えた瀞峡名物 プロペラ船を紹介します。
 (今から50年程前のこと)

 
   世界遺産 熊野の山懐


 新宮に河口を持つ熊野川の上流、北山川に名勝の
瀞八丁(どろはっちょう)があります。紀伊山地をうがって
できた断崖 奇岩が美しい景観を見せてくれます。

 昔から観光船が運航されていますが、その船は水深が
浅くて一般的なスクリューが使えません。 考案されたのが
プロペラ船でした。

 いまはウォータージェット船ですが、昭和42年までは
そのプロペラ船が爆音を轟かせて航行していました。



 写真撮影後 1年ほどで退役したことになります。

 ※ 注 3   正確には昭和42年11月以後 数十艘あった
     内の 1艘が、運行を続けています。 詳細は巻末に。  



自動車用のような縦型エンジンにプロペラが付いています。




エンジンの音と 風きり音でものすごい音がします。




上流に向って航行中  ガイドさんが乗っていたのか 船頭さんが案内して
くれたのか、「右はOO岩 左は××岩〜〜」と案内付きでした。




   いまこうしてみると 観光船というより地元の足になっていたような風情が
感じられます。物珍しそうにキョロキョロしているのは私達だけだったかも。



  エンジンに関する裏話  2014.10.1

 
ある時期に エンジンの破損が多発したことがありました。


エンジンのメーカーが原因究明を行ったところ、過大な回転数での
使用が原因であることがつきとめられました。              .
 船頭の間で客引き競争があり、ちょっとメカに強い船頭が回転数の
上がりすぎを抑制する燃料噴射ポンプのフルロードストッパーの
封印を外し馬力を稼いでスピードを上げていたためで、またこれが
船頭の間で広まったことが多発した原因となった事が判明しました。

エンジンは大型トラック用ディーゼルエンジン165馬力だったそうです。

 この問題に関わられた元エンジニアの方から当ページに御投稿
していただき転載しました。ご投稿者の方 有難うございました。

注1                                               .
国鉄天王寺と南海難波発着の南紀方面の列車は昭和40年以前から
存在しその後も紆余曲折するも続けられていました。
きのくに号で検索すると詳細な推移を記したページがあります。

注2                                               .

串本町ご出身の三重県の00さんから、周参見駅ではないでしょうかとご指摘
頂きました。一度現地訪問して確認したいものです。        19.12.7

その後「思い出の箱」は動画サイトYouTub の車窓展望により「周参見駅」と
確認できました。        有難うございました。          25.1.24


注 3                          .
ウォータージェット船の総数の推移


 1965年10月 (S40)
 1966年 3月 (S41)
 1966年 9月   〃
 1967年11月 (S42)
 1969年 3月 (S44) 
 1972年 9月 (S47)
  
  3艘就航デビュー
  7艘
  17艘
  29艘  この時プロペラ船 1艘が残る
  33艘
       最後の1艘はいつまで就航したかは
       分りませんが、この時廃棄 解体。

ウォータージェット船は新宮〜上瀞間往復5:30だったものが3:45となり
大幅なスピードアップとなり運行回数の増加により旅客数が飛躍的に
向上し、また騒音の苦情も無くなりました。                .

熊野交通30年誌(昭和49年発行)から要約しました。   2017.8.29


昭和42年以後にもプロペラ船が就航していたとの証言とご指摘により
再調査の結果、1艘の就航を確認しました。 ご指摘有難うございました。
ページの精度向上につながりました。              H29.8.29

昭和45年頃に乗船したと、読者の証言がありました。     H31.1.27

LINK
紀勢線に詳しい「セピア色の線路」さんを紹介します。
このページ作成につきアドバイス頂きました。
写真と走行音を楽しめる素晴らしいサイトです。

END


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