思いでの箱         昭和44年ごろの記録     2006年10月8日 改訂 
      
一度は火を落としたC57180機に贈ります。
                         
SLばんえつ物語号ほか、新潟にて

37年前の新津第一小学校の校庭での思い出話


 
                    羽越線   京ヶ瀬付近にて (阿賀野川付近)
                                木立の向うに貨物列車



                                       京ヶ瀬付近



                                       京ヶ瀬付近 



                           羽越線  阿賀野川鉄橋
 鉄橋としては魅力に欠けますが、かつては日本最長の鉄道橋として
学習年鑑や豆知識集には記載され、憧れの存在でした。





                           新津機関区の華   C57 1
                今は梅小路 SL館に、またSL山口号として津和野の華に





                  新津機関区に憩う   EF16 11 と  EF15 1



                       新津機関区を通過する 上野行 特急とき



                                 特急 とき  新潟発上野行



                           特急 白鳥        大阪発 青森行
昭和40年代は北海道旅行が当時の学生のあこがれでした。特に関西の
学生にとってまだ飛行機は高嶺の花でしたので、みんなこれを利用しました。
当時の好きな愛称名ベストワンでもありました。
朝 大阪を立ち深夜青森に、青函連絡船に乗って早朝には函館に着きました。




         昭和40年ごろの上・信越線長岡駅            広瀬均氏(弟)撮影写真



         日暮れの米坂線         手ノ子〜羽前沼沢 (山形県)    S45.11.3  
米坂線は坂町(新潟)と米沢(山形)を結ぶ路線です。名機9600型蒸気機関車に牽く
列車が数多く走り、鉄道ファンには知られた路線で鉄道雑誌にもよく紹介されました。





           
裏縦貫のクィーン   DC特急 「白鳥」     昭和42年8月

 早朝に大阪と青森をそれぞれ出発した特急白鳥は午後2時過ぎに新潟県内で
すれ違いました。
 信越本線 能生(のう)か名立(なだち)駅と記憶します。  .
この付近は海岸線に近く山側の新線に移動し、現存しません。  
       .




            昭和44年当時の国道8号線   白根市付近


SLばんえつ物語号(C57180号機)との出会い

 私は学校を卒業し就職した会社の新潟事務所に赴任しました。つまり社会人第一歩は新潟から始まりました。 その縁で偶然にも35年前の C57 180の 保存式典に立ち会うことができました。
 長い間、鉄道ファンを休業していた私は、あのC57180号機がSLばんえつ物語号として復活しているのを知ったのは復活後2年も経ってからのこと。
今こうして私のホームページを公開するようになったのは、誰に見せるわけでもなく持っていたその時の写真を、いろんな方に見ていただきたいと思ったのがキッカケでもあります。




         C57180 の静態保存式典会場 

      昭和44年10月12日        
新津第一小学校校庭にて






 


   C57 180

     保存式の何日か前、新聞(新潟日報)に新津区所属の蒸気機関車が小学校の
    校庭に静態保存されるにあたり、今機関区ではお化粧直しの真最中ですとの記事
    を見つけました。 つぎの日曜日、 さっそく私はカメラを携えて見学に行きました。

     薄暗い扇形庫の中ではすでに 新しく塗装を終えた機関車が静かに横たわり、
    塗料で最後の文字入れの最中でした。                        .

       

                                 新津機関区にて

        
                                最後の化粧直し

    最期の日のこと                     

     C57180の最期の日は良く晴れた日曜日でした。小学校に着き校庭へ向かうと
   もっと黒山の人だかりを想像していましたが、見物客は意外と少なく、ただ校庭には
   枕木むき出しの線路が大きくカーブを描いて据付地点まで敷かれていて、いつもと違
う異様な雰囲気がありました。                             .
    
    線路伝いに校庭のまだ向こうの人だかりのするほうへ行くと、すでに機関車は薄煙を
   上げて近くまで来ていました。 しまったもっと早く来ればよかった。少し悔やみました。
   二本の日の丸をたすきに着飾り、化粧看板を取り付けてこれがあの薄暗い機関庫で
見たのと同じ機関車かと思うほど晴れやかでした。                 .
 
    たくさんの人に囲まれて慎重に慎重に進んできました。旗を振る人、足回りをじっと
   見る人、鉄棒のような工具を待って軌道を修正する人、指揮者らしい人は笛をくわえて
   大声を上げています。急カーブに車輪はゴリゴリときしんでいます。線路は線路で必死
   で頑張っています。 まるで老人が介護を受けながら 歩んでいるような光景でした。

    ふと気が付けば校庭にはいつの間に増えたのか、たくさんの人々であふれていました。
   大騒ぎのうちに機関車は校庭の片隅、安住の地点に到着しました。 大勢の関係者が
   パイプ椅子に座り、神主さんもすでに来られています。 祝詞が奏上され、祝辞というか
   送辞と言うべきか、国鉄関係者や市の関係者が次から次と述べられたあと、いよいよ
お別れの時がきました。                                 .
    
      「ボーーーーッ」とかなり長く汽笛が吹鳴されました。                    .
本当に本当に寂しい汽笛でした。 このあと二度と火が入らない機関車にとって、
二度と走り出すことが無い機関車にとって、私は断末の悲鳴に聞こえました。
私はたくさんの人を運んだよ。荷物も運んだよ。山を越え谷を渡って運んだよ。  .
と叫んでいるようで私は涙がこぼれました。                      ..






   まさかあの時の機関車が

 平成13年、SLばんえつ物語号が人気を博しているとのTV放映があり、何気なく
観ていて「あっ」と驚きました。 まさかあの時の機関車では?           .
写真を取り出し確認したところ間違いありません。 私はうかつにもC57180が.
平成11年に蘇っていたことを長い間知りませんでした。 2度と走ることが無いと
思い込んでいました。 だからなお今また走っていることに仰天し、にわかには信
じられませんでした。                                   .

でも新潟の小学校に機関車が保存されていることを忘れたことはありませんでし
た。 私の大切にしている写真アルバムを時々見ては、当時に思いを馳せていた
からでした。                                        .

長い間、維持管理していただいた関係者の方、児童の皆さん、先生方、本当に
ありがとうございました。                                .
C57180は歴史として、またいつの日か火を落とすくるでしょうが、それまで
大事にしてやってください。                              。

                                       「思いでの箱」




復活のC57 180号機 SLばんえつ物語号
2008.7 撮影 喜多方駅

END



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