思い出の箱              昭和42年5月3日 撮影
                    
平成18年11月30日 改訂
山陰本線 嵯峨・保津峡にて




山陰本線  嵯峨駅を通過する 急行 「白兎」   現在の嵯峨嵐山駅
「白兎」は京都・大阪〜松江を走っていました。


右端の保線用車両の留置してある場所は 現在のトロッコ嵯峨駅かも知れません.




急行「白兎」   嵯峨駅西方 背景の山は百人一首で知られた小倉山

旧愛宕山鉄道の遺構

  写真右端に築堤状のコンクリート構築物が見えます。 これはかつて存在した、
 旧愛宕山鉄道が山陰線をオーバークロスする築堤の遺構です。        
 この遺構はこの写真の撮影後まもなく高架道路建設により取り壊されました。

  愛宕山鉄道は嵐山から愛宕山頂上まで通じる鉄道で鉄道部分とケーブル部分
 が有りましたが、太平洋戦争の影響で廃止されました。             .
 

  沿革、遺構 資料などが詳しくレポートされているHPがあります。 一読の価値
 がある興味深いページです。  ページ最後にリンクボタンがあります。   .


保津峡にて



急行 「丹後」                  保津峡駅近く

急行「丹後」の思い出
この写真の6年前の昭和36年8月。 高校1年生の私は美術クラブの合宿で舞鶴へ
行きました。大阪を朝8:00頃出て大阪 京都 舞鶴の経路で行きます。当時の時刻表を
元に行路を再現しました。今から50年前になります。                      .

9:30 京都発 準急「丹後1号」    敦賀・天橋立行き  ディーゼル車両
↓         保津峡通過      9:45  車窓風景に歓声上げる
  10:50    綾部着              ここで車両は方向転換しバックに走る
    11:18   西舞鶴到着          列車はここで分割 「丹後1号」は天橋立へ
       ↓                      乗った車両は先着の普通列車に併結されて
                     小浜線経由 敦賀行きになります
   11:30   東舞鶴到着          中舞鶴線の中舞鶴駅前の旅館が宿泊地
今はありませんが中舞鶴線が自衛隊桟橋との連絡線としてありました。
当時でも一日5本ぐらいの列車本数でしたので、連絡悪くバスで出発。
12:00             宿泊地に到着。 早速スケッチに出かけました。





C57型蒸気機関車の普通列車                       .
名物 保津川下り の船が真ん中に写っているんですが。

正確ではありませんが、当時SL列車は京都から園部や綾部あたりまで走っていました。




ディーゼル機関車 DF50型の引く旅客列車




C57型機関車の引く旅客列車




 DF50型機関車




D51が引く貨物列車   2台目は整備を終えたD51の回送でしょうか?




大勢のハイカーが列車到着を待っていました。       保津峡駅

      現在の山陰線は新線に切替えられ この付近は嵯峨野トロッコ鉄道となりました。


END

           幻の鉄道「愛宕山鉄道」を訪ねて   リンク  


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2005.3    制作
2011.5.16  改訂
2018.11.30 画像再処理