思い出の箱                昭和42年8月 

釧網本線の思い出 緑 〜 川湯 〜 美留和
センモウ     (北海道)



    川湯から網走方面へ向かう C58型機関車  川湯は現在の川湯温泉駅です。    




 緑 から 川湯 へ向かう機関車
   

緑と言う駅名 綺麗な名ですね。アイヌ語に倭名を当てたのか、それとも開拓者が
この地が緑になるよう願って付けた地名なのでしょうか。幸福駅のように。   。












網走から釧路につながる釧網線は道内屈指の観光地 摩周湖や阿寒湖に近く、
また流氷が接岸するオホーツク海沿岸、原生花園、そして釧路湿原など見所の
多いところを結んでいます。40年代までC58型機関車の天下でもありました。

比較的平坦な路線ですが、ここに掲載した緑と川湯の区間には急勾配区間が
あってC58の重連運転で峠を越えて行きました。             。





川湯から登ってきた列車。   旅客列車と思ったら、





C58型機関車の重連の客貨混合列車でした。





峠を下る貨物列車。  この付近は熊が出没すると聞いていました。
遠くでうなるチェーンソーの音が熊の声に聞こえてビクビクしながらの
撮影でした。                          .





硫黄山をバックにして勾配に挑む C58型蒸気機関車





防雪林の中を行くC58型機関車          川湯〜美留和間

手前の道路は踏切を越えて摩周湖に通じています。 屈斜路湖から硫黄山を
経て摩周湖に向かう観光バスは、ほとんどこの道を通りました。    


昭和42年の夏の思い出  知床旅情の歌      

この近くの野村川湯ユースホステルは硫黄山の麓にあり、廃鉱になった鉱山
の建物を利用したもので、宿泊棟や食堂棟などが数棟に分散し、粗末で異様な
たたずまいにこれがホステルかと少しばかり不安に思ったほどでした。でも
ヒゲ面のペアレンツ(管理人)のアイヌ民話などの話を聞いたり歌を唄ったり
して楽しい一夜を過ごしました。                   .
                   、
私は北海道に限らず鉄道の撮影旅行にはユースホステルを随分利用しました
一般旅館と併営のユースには無かったのですが夕食の後には必ずこのペアレン
ツを囲んで自己紹介や懇話会があり、歌を唄いゲームを楽しみました。どうか
するとフォークダンスまでありました。                .

道東には川湯以外にも網走 留辺蕊(ルベシベ)阿寒湖畔など沢山のホステ
ルがありました。ここで決まって唄うのが「知床旅情」だったのです。昭和42年
にはその後カバーした加藤登紀子のそれはまだ発表されてなく、森繁久弥の
歌をホステルでソノシートを聞きながらの歌唱指導で憶えました。ソノシート
って知りませんか? プラスチックシートで造られたペラペラのLPレコード
のことですよ。                          
 .


♪ しれーとこーの岬にハマ-ナスーの咲く頃ー           .

.        
 おもーい出しておくれ 俺たちーのこーとを ♪


釧網線の思い出    END        目次へ


アクセスカウンター

2004. 12.20  制作
2006 04.05  改訂
2015.8.31 改訂 壁紙変更