思い出の箱 平成17年11月20日 制作
昭和42年9月9日の記録 平成30年10月18日改訂版
常磐線 平機関区 と 磐越東線 小川郷にて (福島県)
平機関区にて 平駅は現在いわき駅と改称されています。
東京上野駅から仙台までの海側を経由する常磐線は東北本線のサブルートとして重要な線区です。
昭和42年当時は平駅まで電化が進み、以北はC62やC61、C60などの大型蒸気機関車が活躍し、
また郡山方面への磐越東線の9600型やD60などの古参蒸気機関車たちもここに集まって来ました。
とくにターンテーブルの周囲は当区のC62や仙台のC61・C60が所狭しと集結し、ファンにとっては
身の毛がよだつ程の壮観さを見ることができました。 .
C61 21号機
一番違いの20号機が最近復活し素晴らしいハドソンの姿を映像で見るにつけ、
同じ平区でも活躍した同僚機21号の写真を貼り付けないと可愛そうと思いこの度
ホームページデビューいたしました。 H23年7月13日
弁装置のうち「すべり棒」が赤く彩色されていて印象的。
幹線急行用のC59型を2軸従台車に改造したC60型蒸気機関車
追想 昭和40年代初頭 私は多くの機関区の建学と写真撮影をしました。 もちろん機関区の許可を得ての撮影ですが、拒否されたことは一度もなく、むしろ 「どちらから来られましたか?」とか「ご苦労様です」などと 暖かくファンを迎えて頂いた記憶が多くあります。 現場の方々も一向に構わないと 言った風で黙々と仕事をされていました。 当時の国鉄は五万人合理化運動が推し進められ、労働組合は猛烈な反対運動が なされていて、現場はキリキリしていました。 しかしそれとこれは別と言った感じで 写真撮影に応じて頂きました。 今でもそう言った雰囲気が残っているのでしょうか。おそらく安全のためとマナーの 悪い一部ファンのために簡単に機関区その他の施設の立ち入りは難しくなっている ことと察します。 |
東海道本線の特急列車牽引の栄光も今は昔 名機C62型のラストナンバー49号機。
入換え中のD60型蒸気機関車。
背中のドームの形状が特徴的
D60 75号機
きれいな化粧煙突のD60。 D50を2軸従台車に改造したものです。
野太い感じのする機関車でした。
ヘッドマークが誇らしげなC62 23号機の引くブルートレイン特急「ゆうづる」
昨晩青森を出発し早朝に平駅に到着。後は電気機関車で上野駅まで。
この機関車はその後 呉線に転出し余生は瀬戸内で過ごしました。
注 ヘッドマークをフォトショップで着色しました
平駅構内に進行していきます。
平駅を出発するD51型蒸気機関車。
上野行きの電車もここから出発 後方よりの撮影です。
ED75型電気機関車もここまで 以北は蒸気機関車に託します。
機関区に行くと すでにさっきの機関車が入庫。
本当は、ヘッドマークは裏返してあったのですが、
こっそりとひっくり返してパチリ。 意外と軽いのですが
見た目より大きなものでした。 もちろん元通りに
しておきました。 .
磐越東線 小川郷にて
平駅から郡山方面へ2つ目の駅です。
小川郷駅を出発してまもなくの地点 平行き普通列車。
「思い出の箱」の筆者が50年前から現在も好きな写真のひとつです。
当時でも数が少なかった4桁ナンバーの9657号機
下り勾配ながら駅を出てすぐなので、まだ力行しています。
※ 力行 (りきこう りっこう) 自動車ならアクセルを踏んでいる状態です。
煙がそれを物語っています。
列車後方の四角の建物は、当時住友セメントが右方向にあったセメント原料の粘土を山
から搬出する索道の終点にあったものです。 機関車のすぐ右にに索道の設備の鉄塔と小さ
くゴンドラが写っています。いつの頃か廃止されました。原料運搬列車も設定されていました。
拡大写真
郡山方面行き貨物列車 機関車はD6077 号機。
平機関区 と 磐越東線 小川郷駅 END
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