「思いでの箱」            アクセスカウンター        2014年1月28日 改定
私の函館本線 
PART U
改定   札幌電化開業日の様子のレポートを加えました。

張碓 (はりうす)にて  1968年(S43) 3月16日 撮影



小樽・札幌間、中でも朝里駅と張碓駅・銭函駅の間は絶壁と石狩湾にはさまれた区間です。





圧倒される絶壁とC57蒸気機関車





張碓駅にて  C57 201号機  (ラストナンバー)

鉄道ファン誌 1966年7月号 北海道特集号に張碓の雪氷の絶壁を走る
機関車の写真が掲載され、凄いと衝撃を受け、「行きたい 見たい!」
と思って一年半後、この地に立ちました。
   . 



3月中旬で積雪が少なかったものの、期待通りの大岩壁でした。





私が訪問した40年前は定期列車も停まる駅でしたが、その後は海水浴客の
臨時駅になり、平成10年からは休止駅となって、停車する列車がない不思議な
駅として、注目されました。                               .

平成18年3月に駅は廃止され撤去されました。






当時は駅員配置がありました。



C57 200号機の通過





左に見える恵比寿岩まで行くつもりでいましたが、線路の左右の積雪がザラメ状態で
しまっていて歩きづらくまた危険なため、断念して元の張碓駅に戻りました。     .
今では許されぬ線路歩き。
















客車を改造したディーゼル車 

1960年から1962年にかけて余剰の客車をディーゼル車に8両が苗穂工場で改造され
ました元はオハ62とオハフ62ですが、両数が増えることなく試作に終わりました。札幌の
近郊と釧路近辺で見ることができました。                            .





711系近郊電車の試運転

この年 昭和43年8月に小樽 滝川間の電化開業、国鉄の電車が始めて
北海道に走りました。これはそのときの試運転電車で客扱いはまだでした。














真っ赤な電機 ED75 501号機も試運転中   (小樽市総合博物館で保存中)

※  手稲 銭函間が電化に先立っての実験線だったそうで、このED75501号機は
その実験車両です。 酷寒地対策のほか電気機器はサイリスタ制御を採用するなど
他地域のED75とはまったく違う車両といえるものです。実験結果から量産型はED76
として活躍し北海道のED75はこれ1台のみとなり、20年後の1987年に廃車後小樽
に保存されました。                                .        





張碓駅を発車する岩見沢行き普通列車。当時は駅裏に道があった
ようなので、張碓集落の人が利用されていたのかも知れません。 .
この頃にも立派な札樽国道がありバスが頻繁に走ってはいました。


函館本線でもこの付近は歴史あるところです

有名な「弁慶号」や「義経号」「静号」などが走っていたのは、この区間 (札幌〜小樽)です。
明治になって、北海道開拓が始まり、石狩地方の石炭層がみつかりました。、積出港の小樽
へは、はじめ江別あたりから石狩川経由の川舟に頼っていましたが、氷結や積替えの効率が
悪く鉄道敷設にいたりました。明治13年(130年前)のことでした                 .

当時の遺構として、この近くに手掘りのトンネル(義経隧道)が今も残っています。





付録  電化開業式の日  小樽- 札幌- 滝川 間
1968.8.28 (S43)   今から47年前のこと


札幌駅にて



札幌駅にて


配られたカード。   裏面の記述が面白いです。



北海道の国鉄での初めての電化のため注意事項として

   踏切を渡るときはスキー板、つり竿などは横にすること。
    線路の近くでタコ揚げ、魚釣りはしないよう。
   トラックの荷台や耕運機の上で立ち上がらないこと。
    碍子(がいし)に石を投げない。 
   陸橋の上から紐や縄などをたらさないこと。

やや滑稽な部分があって、電車に不慣れな人が多いと
思っての親心が感じられてとても興味深いです。

とは言うものの
昭和の初め この時より40年ほど前に
 1929年(S4)定山渓鉄道が電化し .1927年(S2)旭川電気軌道
開業していて,  道内初の電化という訳ではありません。




電化開業式の写真と資料提供  広瀬 均 氏より

END
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2009.3.22   制作
2009.9. 1    改定

2014.1.28   改定