思い出の箱 伯備線のD51蒸気機関車 撮影 広瀬和彦
昭和42年3月9日 10日の記録
プロローグ 足立駅 あしだち 鉄道研究会のメンバー数人と企画した 伯備線への一泊二日の撮影旅行。 我々は早朝暗いうちに米子を出発 足立に着くやいなや、対向の貨物列車 のものすごい排気と煙を見せられると いう歓迎をうけました。 . 3月とはいえ中国山地の真っ只中は 気温はマイナスでした。 . |
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私たちは まず駅周辺から、新見方面(南方向)へ下ってゆきました。 |
土地の人から「電化工事の測量に来られたんですか?」と聞かれました。 当時は鉄道ファンもあまり来なかったんでしょうね。 この時の会話から5年後に蒸気機関車が消え 15年後に電化されました。 |
伯備線 | 新見 | 〜 | 生山 | |
東北本線 | 沼宮内 | 〜 | 一戸 | この3区間にD51の三重連の運用がありました。 |
奥羽本線 | 碇ヶ関 | 〜 | 陣場 | 雑誌「鉄道ピクトリアル」 S42.12月号より |
この旅行で買った乗車券 大阪駅で福知山線、山陰線 伯備線 山陽線 東海道線の一筆書き経路を 指定すると、サッとこの切符が出てき ました。 ちゃんと印刷されているということは、 利用者が結構あるということなんでしょ うね。 通用発売日共6日間もあるので、高速 道路網も無かった時代ですので、商用の ビジネスマンなんかにも人気があったの かも知れませんね。 |
目が覚めると外は銀世界。 旅館を飛び出し徒歩で信号場へ。 |
眼下に繰り広げられる蒸気機関車の壮絶な乱舞とその大音響。 これを見て私ははじめて布原信号場のすごさを知りました。 昭和42年当時は 鉄道ファン向けの雑誌でも、ごくわずかに記事があっただけで3〜4年後にあの狂乱的と まで言われる人気撮影スポットになるとはこの時には知る由もありませんでした。 . |
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