思い出の箱   伯備線のD51蒸気機関車 撮影  広瀬和彦
           昭和42年3月9日 10日の記録            アクセスカウンター



プロローグ
足立駅 あしだち


鉄道研究会のメンバー数人と企画した
伯備線への一泊二日の撮影旅行。

我々は早朝暗いうちに米子を出発
足立に着くやいなや、対向の貨物列車
のものすごい排気と煙を見せられると
いう歓迎をうけました。        . 

3月とはいえ中国山地の真っ只中は
気温はマイナスでした。        .


ここ足立駅は岡山県北部、鳥取県との国境は程近く、石灰岩の採掘会社あります。



写真左に生石灰運搬列車(D51三重連)が待機。 白煙の向うが採掘工場。




右側に待機しているのが、 全国的に有名になった、かの生石灰運搬専用列車3重連です
写真右側に立上がる白煙は足立石灰工業(株)からのもの


D51三重連の発車です !!



腕木信号機が下がり、ホッパー車をつないだ列車に緊張が走ります。




        汽笛三連発が山々にこだまする。 




行先は姫路の新日鉄広畑工場だ!







このあと列車は下り坂ばかりなので、まもなく絶気の合図3連発が発せられます。



私たちは まず駅周辺から、新見方面(南方向)へ下ってゆきました。




足立駅で入換作業中のD51 1061号機 (新見機関区 所属)




キハ20系ディーゼル列車。  右側線路は石灰工場への専用引込み線。





足立駅に入構する貨物列車




単機回送      腕木信号機は足立駅の場内信号機です。
                                              



上の単機回送写真のアップです
この写真、見上げる角度とロッドの位置が決まってるからか、煙が無いのに
D51の力強さが表現できている気がしてアップにしてみました





仲間たちとD51重連
土地の人から「電化工事の測量に来られたんですか?」と聞かれました。
当時は鉄道ファンもあまり来なかったんでしょうね。

この時の会話から5年後に蒸気機関車が消え 15年後に電化されました。





新見方面へ下っていく貨物列車  このあたりは25‰の急勾配の連続です

この画像はモノクロ写真に着色処理をしたものです





C58型蒸気機関車の引く旅客列車





新見方面行き旅客列車





25‰を登るD51蒸気機関車
この列車はじつは三重連の貨物列車です



上記貨物列車の後部補機。    逆向きなのでしまらない写真と言えば、今となれば贅沢な話。



当時のD51のSL三重連について

伯備線 新見 生山
東北本線 沼宮内 一戸   この3区間にD51の三重連の運用がありました。
奥羽本線 碇ヶ関 陣場            雑誌「鉄道ピクトリアル」 S42.12月号より

このうち東北本線と奥羽本線は電化によりまもなく廃止となるなどにより、
そうそうあちこちで見られるものでなく、むしろ希少なものでした。「思い出の箱」としては
D51以外の形式の三重連の定期運用は8620形式の花輪線での運用があったと
記憶するのみで、日本国内でもあったとしても「さよならSL」などのイベントなどで
走らせたいわば<やらせの三重連>がほとんどだったと思います。



午後からは2駅北の上石見駅へ移動、こちらは鳥取県



上石見駅に入るD51の牽く普通列車。   山の向こうは岡山県





新見方面行き D51の重連の貨物列車









岡山県側から下ってくる貨物列車。 北側の斜面なので残雪が残っていました。





岡山県側に登ってゆく貨物列車。




    この旅行で買った乗車券

 大阪駅で福知山線、山陰線 伯備線
山陽線 東海道線の一筆書き経路を
指定すると、サッとこの切符が出てき
ました。
 ちゃんと印刷されているということは、
利用者が結構あるということなんでしょ
うね。

 通用発売日共6日間もあるので、高速
道路網も無かった時代ですので、商用の
ビジネスマンなんかにも人気があったの
かも知れませんね。






今宵の宿を備中神代駅(びっちゅうこうじろ)の駅前の古びた木造旅館に
決めました夕食をとっていても、雑談していても, 寝床に入ってからも、 .
絶え間ない機関車の汽笛と地響きを大いに楽しみました
。          .

ここは芸備線と伯備線の接続駅で次から次に列車が行き交っています。


明日はいよいよ布原信号場へ

目が覚めると外は銀世界。  旅館を飛び出し徒歩で信号場へ。




雪の中、眼下をD51の単機回送車が鉄橋を渡ってゆきます。 

備中神代駅から約3Km、布原まで山道の県道を進みます。

正直言ってこの時、「布原信号場」ってどんなとこ?。 雪のちらつく
こんな寒さの中をテクテクと行く価値あるの?と思っていました。 





雪降る中を、壮絶なドラフト音を山々に響かせ信号場通過!





信号場を出発し加速する貨物列車


眼下に繰り広げられる蒸気機関車の壮絶な乱舞とその大音響。
これを見て私ははじめて布原信号場のすごさを知りました。  昭和42年当時は
鉄道ファン向けの雑誌でも、ごくわずかに記事があっただけで3〜4年後にあの狂乱的と
まで言われる人気撮影スポットになるとはこの時には知る由もありませんでした。    .




信号場を通過する後工デフのC58175型機関車

後工デフ   米子にあった国鉄後藤工場のこと、デフは
デフレクター(除煙板)のこと。 前部の左右サイドにある板の名称で
いくつかの工場に、それぞれ特徴ある形状を見ることが出来ます




出発信号機。 ガシャンと鳴って下がりました。




C58型蒸気機関車の出発





短い旅客列車でも、登り坂のため、迫力ある走行です。





 土地の人が収乳缶二つ背負って何処かへ



次は重い貨物列車が信号場を通過し、勾配を駆け上がります。











三重連の迫力あるシーンに私たちグループは口々に歓声をあげたのでした。



                                         
                                               新見駅
夢のような布原から山ひとつ越えると、                 .
         そこは新見
(にいみ)の街。  ここでも雪がチラチラ舞っていました。


伯備線のD51     END
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  追記

         岡山県新見市足立にある足立石灰工業のホームページから
                このページをリンクいただいています。

   かつての伯備線のD51の三重連運転のなかでも石灰運搬列車の前部三重連は
   その躍動的な姿ゆえに、SLの終焉期を迎えて全国的に知られた列車となりました。
   今から40年ほど前のことでした。 この
石灰運搬列車こそ同社の専用列車として
   足立駅からはるばる姫路市の新日鉄広畑製鉄所まで運行されていたものでした。

   昭和30年代の出荷風景の貴重な写真のほか会社の沿革など興味深いページです。
   是非ご覧ください                     
                                           広瀬和彦

            会社名をクリックして下さい


H15.10.20  制作
H22. 4.26  改訂
H24.  9. 23  改訂
H30.   10.18 改訂版