思い出の箱                           昭和43年9月3日 撮影
                    
平成21年3月15日 改訂
鹿児島機関区と広木信号場

平成21年3月14日  
すでに廃止された信号場跡地にJR広木駅が出来ました。



C60 107号機   さすが鹿児島 植栽が南国っぽい 




  C57 60号機 





C61 32号機




桜島をバックに C57 60号機とC61 32号機




タンク機関車 C12




C55 26号機  西日を受けてスポーク動輪がきれいでした。
運転台の屋根に製造当時の流線型の面影が残っています。




このC55は吉松区の所属プレートがついてました。
錦江湾と桜島を見ながら霧島方面から来ていたんですね。

ターンテーブルの向こうに石積み機関庫と8620型機関車が見えます




8620型機関車   48696号機




構内入れ替え用に便利なように切り欠きテンダーをつけてます。 
廃車になったC56型のを借用したのでしょう





石積みの機関庫とC12型機関車



水飲み中の鹿児島のアイドル  B20型 

現在は京都の梅小路蒸気機関車館で動態保存しています。

B20型は当時はここ鹿児島と北海道の小樽でのみ見ることができた機関車です。




鹿児島駅の向かうC6132号機                            
機関区と鹿児島駅は隣接していて写真右奥が鹿児島駅です。





      C12 287号機の牽く旅客列車                       西鹿児島駅
日豊本線 隼人方面への普通列車のようです。




  広木信号場にて  西鹿児島駅からほんのわずかなところ。

当時 この付近は複線電化工事の真っ最中で、完成と同時に信号場は廃止されました。




新大阪発西鹿児島行き 特急「あかつき」の通過

前方に貫通した新しいトンネルの入り口が見えます。

広木駅は写真右端あたりに開業しました。鹿児島中央駅まで5分だそうです。
40年前の当時は付近に人家は少なく、今思えば夢のようです。





ヘッドマークがまぶしい「あかつき」の通過



  車両を拡大します

信号場構内を鹿児島交通のディーゼル車が走ります。






信号場から西鹿児島駅方向に広木トンネル(単線)が見えます。
撮影当時からこの列車は特急のようでそうでなく、回送列車なのか
なんだったのかよくわかりません。
             .




かなりの速度で通過してゆきます。


  

なんとC55型蒸気機関車後部補機つきでした

注  5年前にこのページを立ち上げて以来 機関車はC57型と記載していましたが、
   今回(H21.2) ネガを再スキャンしたところ、ナンバーこそ判別出来ませんが、
   スポーク動輪が写っていて、しかも所属のプレートが「吉」(吉松区)になっている
   など、紛れもなく「C55型」に間違いありません。 また「あかつき」の後補機の
   ように表現していましたが、ネガ番号からこれも誤りと判明しました。
                                     謹んで訂正いたします。

   私にとっても40年間思い違いをしていたことになり、ますますこの列車が何なのか
   分からなくなりました。 この線区にC55が走ったと言うのも腑に落ちません。??






鹿児島方面に向かう C57型機関車の荷物列車
信号場から上伊集院へ少し歩いた地点、現在上り線になってます




C61 33号機  上伊集院駅方面に向かう



ハドソン快走!

ハドソンとは先輪、動輪 従輪の並びが2+3+2の機関車のニックネームです




民家をかすめてC60 104号機




C60型蒸気機関車は元が名機C59型に2軸従台車を取り付けたもの。
マンモスC62型より好きと言うファンも多く、私もこれを見に来たようなもの。









右端は建設中の新線の軌道敷きです。




C60 28号機の引く普通列車

つづいて D51 と  C61 31号機 の重連の旅客列車



D51 プラス C61   この2機は兄弟です



 
C61型蒸気機関車はD51を2軸従台車にした改造機
改造と言ってもボイラーや給水ポンプなど転用したのはごくわずか。ほとんど新製。 


ちょっと詳しく言いますと

太平洋戦争中は旅客よりも貨物輸送に重点が置かれ、貨物機のD51、D52などが
増備されていました。 敗戦を迎えて戦場からの帰還兵(復員兵)の輸送や国内の
旅客輸送は急増し、貨物機の余剰と旅客機の不足という状態となりました。    .

敗戦後まもなく経済は悪質なインフレとなり占領軍(GHQ)は機関車の増備を申請
しても緊縮財政のため許可せず、 思案した国鉄はGHQに余剰のD51を改造して
旅客機を確保したいと申請し、まんまと許可を取り付けたと言うことです。 GHQが
技術的によく分からなかったのか、交渉がうまかったのか。いずれにしても新製の
機関車であったと言うことです。                               .

     元 国鉄技師 久保田 博 氏の著作を参考に「思い出の箱」が記述しました。





新しい道路かと思えば、新線になる複線軌道の路盤部分です。 

道路か軌道になるのか記憶が曖昧だったのですが、 ご指摘がありました。
これは道路敷では無く、現在の複線軌道の路盤だったんです。      .
        
    鹿児島県姶良町の中原昌一(なかはらしょういち)氏から教えていただきました。





昭和43年9月27日 上伊集院・広木 間 複線完成
昭和44年9月27日 広木・西鹿児島 間 複線化完成

  広木信号場 廃止
   
昭和45年9月 1日 鹿児島本線 完全電化により 
       この線区から蒸気機関車 消滅



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2009. 2 (H21.2)  改訂