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関西本線を走った名機C51蒸気機関車

関西本線(JR大和路線) JR高井田~河内堅上 間  1961年(S36)10月25日 

実はこの写真は知人が撮ったものです。 何気なく撮ったみたいですが
私はびっくり仰天、まさかのC51型が写っています。 話に聞いていましたが
身近な関西本線にC51。 皆さんに見ていただきたいと思い発表いたします。


貴婦人と愛称されるC57型のほか、C55型や高速旅客機C59型と同じ
軸配置で2C1そのバランスの取れた姿は見ていてほれぼれします。

スポーク動輪も嬉しくなります。


 ● なお当時はJR高井田駅は存在しません。正確には 柏原~河内堅上です




奈良機関区所属 C51 114号機  1923年(大正12年)製造

奈良区のあと亀山区に転属後 1962年(昭和37) 廃車




先輪 2 動輪 3 従輪 1  つまり 2C1の軸配置


C51型について

狭軌でありながら広軌(標準軌)なみの大型化と性能の向上を目指して
1919年(大正8)に完成させたのが18900型 後にC51型と呼ばれました。
動輪は1750mm
で当時では狭軌で世界最大の機関車となり、マンモス機と呼ばれる
C62型と同じ大きさです。その後10年間で289両が作られました。    .

その安定した高性能から東海道線の名古屋~東京間の超特急「燕」を
牽引しました。 1930年(S5)~1934年(S9)の事です。    .
特筆すべきは239号機は昭和天皇のお召列車を104回も牽引しました。

239号機は梅小路蒸気機関車館にお召機装飾で静態保存されています。

C51型の高性能は当時の広軌への改軌論を引っ込めさせたとも言われ
ています。                           .

大正・昭和の始めの話ですが当時の日本の技術力の高さを誇っていいと思います




元の画像です。TOPの画像はこれをトリミングしたものです。

右端の白い看板は駅で見る駅名看板ではありません。
背後にある児童自立支援施設「府立修徳学院」の正門入口の看板です。
明治41年に設立された由緒ある支援施設です。白い塔は「見返りの塔」





駆け抜ける客車 オハ 31    ダブルルーフ屋根

日本最初の鋼製客車 三等車  昭和2年から500両ほど作られました。

    下がっている枝はサクラです。
60年経った今も春には元気に咲きます。





拡大するとなんと  名古屋行き


蒸気機関車が牽く中長距離列車が関西本線にも昭和36年当時は
多く存在したということなんでしょうね。
             .

この写真の三年後には東海道新幹線が開通し東京オリンピックが開かれました。

特報
  読者のUさんから、この列車のものと推定できる時刻表をメール
頂きました。  大変ありがとうございました。
     R 3年8月26日
  
当時の湊町(現JRなんば)から関西本線経由 名古屋行きは下記の通りです。

昭和36年10月の時刻表から

  湊町   名古屋
   8:22 →   11:22 準急かすが1号  気動車(ディーゼル) 
  10:56 →  16:31  普通  214列車  
  13:42 →  16:41  準急 かすが2号  気動車(ディーゼル) 
 ● 13:55 19:34 普通  216列車  
  15:26 20:46  普通  218列車   
  17:56 20:55 準急 かすが3号   気動車(ディーゼル) 

普通列車 214 216 218列車は蒸気機関車かディーゼル機関車の牽引かは
時刻表では読み取れませんが、当ページの写真の光線や影から推定して
おそらく印の216列車だろうと思われます。        

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参考時刻表です     昭和36年10月



2021年(R3)8月17日  制作
2024年(R5)3月28日  時刻表掲載