思いでの箱  @竜華操車場の記憶 (大阪府八尾市) 昭和42年頃    
         りゅうげ                                    .




JR大和路線(関西本線)の久宝寺駅一帯には、20年前まで広大な操車場がありました。

日本各地からやってくる貨物を仕訳けては次々と出発してゆく貨物列車、鉄道が輸送の主役だった頃
の操車場の風景はまさしく昭和の風景でもありました。                
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機関車は8620型




鉄道の大好きな子供たちにとっては、勇ましい機関車の姿や音は大いに好奇心を
揺さぶられ、またしても「竜華へ汽車を見に行こう!」と誘い合わせては出かけて行っ
   たものでした。                                     .

写真は突放(トッポウ)作業による貨物列車の仕訳け作業
機関車が押しては急ブレーキ、押しては急ブレーキと繰り返して次々と行き先別に貨車を
突き放して行きます。貨車にはそれぞれ作業員がステップに乗り、足踏ブレーキを操作します。
機関士、制動手、ポイント係の三者の呼吸が見事でした。非常に危険の伴う仕事でもあり、
熟練の要る作業だったのではないでしょうか。                    
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機関車は9600型



作業中の8620型と一休みする9600型機関車 ともに大正生まれの機関車です。

後方の高い煙突は帝国製糸(株)のものでこの煙突や蒸気機関車はすでにこの世に
ありません。明治時代にイギリス人の指導を受けて木綿糸の生産を始めたこの会社
もすでに無く、まさしく昭和の時代の風景です。 
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長くて重い貨物列車を留置線から引出す時の9600型や8620型蒸気機関車は、時に
空転しながらボイラーも張り裂けんばかりの壮絶なドラフト音を響かせます。大正生まれの
両機は幹線での華々しい活躍の期間が短く、こうした入換専用機となったものが全国に多
くいました。                                     
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長い列車だと300m以上はなれた八尾駅構内まで引き出されることがありました。現在の
八尾駅が3線分の間隔があるのはその名残でしょう。                
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到着した貨物列車は、機関車が外されて係員の誘導で機関区へと回送されます。

操車場内には客車区があり関西線や紀勢線方面の客車の整備を担当していました。
写真の左端にその一部が写っています。                    
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機関区内を移動する8620型機関車. 背後は信貴生駒の山並みです。




阪和線杉本町から竜華まで電化された阪和貨物線があって電気機関車が来ました。
写真右端ぎりぎりのところに天王寺方面行き久宝寺駅(無人)がありました。   .




待機中の機関車たち   門型のクレーンは給炭装置です。




給水を受ける8620型機関車




ターンテーブルに乗る蒸気機関車。              D5228号機




のどかな扇形機関庫と一休みする職員さん




この車両なんだか分かりますか?       暖房車   スヌ31 2 号

かつては客車は暖房はスチーム暖房でした。蒸気機関車のときはスチームは供給
出来ますが、これが電気機関車になると蒸気発生器が無い場合、特に古い機関車
になるとこれが装備されて無いので暖房が出来なくなります。そこでこの車両の出番
となります。ボイラーが乗っていて蒸気機関車のように石炭をくべますので、屋根には
煙突が出ています。 この車両は阪和線で使われていました。          
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仕訳中のタンク列車とキハ35型ディーゼル車

操車場の両サイドは関西本線の軌道。この頃は無煙化が進みディーゼル車が走りぬけます。




出典  JR久宝寺駅そばのモニュメントから転写  一部加筆



操車場は夜も動いています






(一部を彩色しました)

夜になると操車場から「ポー、 ガチャンガチャン」「ボッボッボッ」とかなり
遠くのほうまで聞こえてきました。 冬のよく冷え込んだ夜は特にそうでした。
どこまで聞こえたでしょうか。近辺の人々の耳には今も聞こえてきそうな懐か
しい昭和の音でした。                          
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今でこそ街は夜になってもたくさんの照明で明るく、またライトアップなどと光を
楽しむような時代ですが、かつては無意味で無駄な照明等なくて、必要な場所
には必要な照度で照らされていました。ここ竜華操車場はそういう意味で夜の
河内地方の一番明るい場所でした。                    
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竜華操車場は昭和13年に開設され、昭和59年にその歴史を閉じました。


@  竜華操車場の記憶    END

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