思いでの箱          竜華操車場の記憶        昭和42年ごろ

操車場とその周辺のスナップ





8620型とD51の重連        城東貨物線 蛇草信号場南方の東大阪市衣摺あたり




竜華から吹田へ帰るD5228 
                 東大阪市衣摺

北風に吹かれて、軽い荷物をゆったりとしたスピードで帰って行きました。


8620型とD52の重連


                                          
操車場の場内信号が赤のため終点目前で一旦停止。関西線のディーゼル車を追い越させます。




ディーゼル車が通過し、力をこめて出発。



                    
場内の停止位置まで後わずか、重いので力行が続きます。

  以上3枚はいずれもD52142号機です。当時は28号機とこの142号機が竜華に現れました。
いよいよ日本国内ではこの城東貨物線と北海道の函館本線だけに見られるD52でした。


自動車が載った1両目2両目は、自動車専用貨車  ク5000型
製造初年度は1966年 (昭和41年)  物資別貨物輸送の花形として登場しました。
マイカー時代突入。  ニッサンサニー トヨタカローラが世に出たのがこの年でした。  .




こうして補機にDD13型ディーゼル機関車が就くこともありました。




関西本線を疾走するC58358号機の荷物列車     操車場西方にて




D51 754号機が引く貨物列車  こんなきれいなD51が走っていたんですね。

余談ですが沖縄の名護市の遊園地で活躍する1/2モデルの子供機関車は、D51754
の番号がつけられています。  名護市=ナゴシ=754 となるからですって。    .
子供用としては大きいので迫力がありそうです。 沖縄には鉄道やSLを知らない子供
が沢山いるので、大変人気があると聞いています。                    .



関西本線を行くDD1399号機の貨物列車




D5191号機      美しい煙室ハンドルをつけた初期のナメクジドームのD51も
               デフ(除煙板)を外され、取っ手つきの入替機として活躍。無念





当たり前ではあるんですが、昇降口デッキのある機関車はボディーと下部の
台枠はバラバラに動きます。私はここのポイントの急カーブで思いっきりデッキが
先輪の台車とともに右に振られるのを見るのが快感で大好きでした。      .


国鉄八尾駅のスナップ



C58264の荷物と貨物列車                  国鉄八尾駅

竜華操車場の東の端は国鉄八尾駅構内に及び真ん中の線路はそのまま操車場に
つながります。長大な貨物列車は近くまで来ることもあり、また隣接する帝国製糸や
大日本倉庫には貨物引込線があり、当時も貨車の出入りを見ることがありました。 .




名古屋行き 特急「あすか」の通過               国鉄八尾駅

左奥、駅の向こうにトラス式の跨線橋が小さく写ってます。
操車場が開設された昭和13年に同じくして架橋されました。


C   竜華操車場周辺の記録    END

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