思い出の箱                         昭和39年9月28日 撮影
天王寺駅前の55年前のあの日のこと

東京オリンピック聖火リレー   昭和39年9月28日



今や遅しと聖火ランナーを待つ群衆
               昭和39年 秋   天王寺ステーションビル前


   一体何人の人がここに集まったのだろう。 日本中が昭和20年の敗戦から立上がり
オリンピックを招致するまでに復興したことへの喜びが、皆の顔にあふれています。





見えた  聖火が!  人々は走り出しました。
                          右端に白煙が上がります。






近所の食堂のお姉さんも、オフィスのOLも仕事をほったらかしにして。

中央の老夫婦は遠慮がちに後ろから。 この写真は今見ますと目が熱くなります。
まるで小津安二郎の映画の 笠智衆と東山千栄子の「東京物語」のような.....。

   
 この二人は多分もういらっしゃらないでしょう。   46年も前のことですから。




この写真 私は市電の安全地帯のポールにしがみついて撮りました。
どう考えても、まともな写真が撮れないと思ったものですから。    .



近鉄百貨店部分を拡大しました。


1964年9月26日 午前9時28分

   
 歓迎 聖火リレー

  この日から12日後の10月10日
 代々木競技場に聖火が点火されました。

 東洋の魔女 女子バレーボールの
金メダルは日本中が熱狂しました。


 なでしこJAPANも凄かったですが、
それ以上だったんですよ。




その日の我が家
の2階から。



東京から遠く離れた大阪の八尾市の商店街も、万国旗の
飾り付けをしてオリンピックムードを演出しています。

停まっているのは、丸ハンドルのダイハツ ミゼット。




琵琶湖を走る「はだしの英雄・アベベ」
   
東京オリンピックの半年後  昭和40年5月9日  滋賀県大津市にて

「びわ湖毎日マラソン」




皇子山競技場を出るなり
トップを走るアベベ


アベベ・ビキラ氏はエチオピアのランナーで東京オリンピックの
マラソンの
ゴールドメダリストです。                .

その前のローマオリンピックでは
なんと彼は裸足で走り、誰よりも
先にメーンスタジアムに戻ってきた無名の新人でした。この日から
彼は
 「裸足の英雄」 と言われ世界最強のマラソンランナーとし
て 一躍有名人になりました。 今も彼はエチオピアの英雄として
尊敬されているということです。                   .



撮影地点は  滋賀県大津市桜野町1丁目付近
写真左  京阪電車 石山坂本線   皇子山駅 〜 近江神宮駅間
現在は市街化しこのようなローカルな風景はもう見ることは出来ません。





「なんだ 靴はいている?」  裸足だったのはローマの頃だけらしい。





トップで帰ってきた アベベ。  線路の向うが競技場。

                             皇子山陸上競技場近くで。

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関連サイト  「大阪市電のあった頃」
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2004.8.14   制作
2011.11.17  改訂
2019.4.11 壁紙改訂