思い出の箱 2017年10月25日 改訂版
東京の電車  50年前 昭和40年10月  撮影
ページの最後あたりに57年前の豊洲の写真を載せました。


   小田急特急 SE車                       新宿駅

1957年(昭和32年) 狭軌のスピード記録(145km/h)を達成し
戦後日本の鉄道技術発展に、大きな足跡を残した名車両です
 2年後にはこだま型電車が163km/hを出してあっさりとタイトルを返上したものの、
小田急と国鉄が共同で構想した車両で、こだま型特急電車の誕生、新幹線計画に
対し車両製造技術や各種実験資料などが継承されました。            
 .

 航空力学も採り入れてと言うとおり、私ははじめて見たとき、その先頭の形状と
曲面ガラス、窓のサッシとリベットを見て、
「これは飛行機か?」と思いました。
--



小田急   2203号  1954年(S31)製造                新宿駅
小田急の高性能電車への移行への第一弾となった電車です。
2両固定のユニット編成として機器の分散化が図られています。




小田急  新宿駅  2460号   箱根湯元行き




         西武 池袋線     クハ1721                練馬駅    
 ステンレスもしくはアルミ製のパネルをライトの下に装着していて、関西には
こういう電車が無くて目を引きました。 でも斬新な感じの割に台車などが古い
イコライザー付き釣掛け台車だったので、少し見掛け倒しだった印象です。
  .




西武新宿線  クハ467      記憶では国鉄山手線新大久保駅ホームから




西武池袋線 クモハ561                       練馬駅




東急東横線   7000型                      元住吉車庫
1962年(S37)に製造された日本初のオールステンレスカーです。
部分ステンレスカーは既に登場していました。




東急東横線   5000型                    元住吉車庫




東急東横線 3601号車                          元住吉車庫
この電車を見たのは終戦後20年です。 この電車は戦災で車両不足に
なっていた東急が爆撃損傷を受けた国電を譲り受けて復旧改装したものです。





3450号車                           元住吉車庫
現在 東急電鉄ではこの車両を記念物として保存しています。




                     東急 東横線 元住吉車庫
大手の電鉄会社で業務用とはいえ2軸単車を見つけ思わず撮影しました。






東武鉄道 東上線 8000系   クハ8113                 池袋駅
昭和38年からの導入ですので、この電車は新製まもなくと思われます。 
約20年間にわたり
700両もの新製があり、東武のシンボル的な車両となりました。 .
通勤電車の鑑みたいな存在で 私鉄の103系電車と言うようです。
※  103系はこのページ後半に登場します。





東武鉄道   東上線   7300型                  池袋駅

戦災による車両不足は小田急や東急より深刻だった東武は、郊外農村部との間の
買出し客の急増により窮地にあり、そこで国鉄の73型国電と同じこの電車を優先して
多く割り当てられ総数60両近くを配置しました。 また戦災による損傷電車の譲渡も
多数うけてこの非常事態を乗り切ったのです。 統制経済のなかこう言った工夫も
必要な時代があって今があるということですね。                     .


東京での定番アングルです。



お茶の水駅の聖橋(ひじりばし)から神田川の47年前の眺め。

鉄道ファンとしてはどうしても見届けたい景色でした。
走っているのは、地下鉄(帝都高速度交通営団) 丸ノ内線 500型でしょう。
  こんなカラーイメージでした 白帯に波模様
のステンレスの飾り とてもいいデザインでした
 

ちょっと横浜に移動します。





横浜市電 1600型    1604号車 生麦行き       国鉄横浜駅前
戦後復興期に作られた単車 800型の入替えに投入された新車で
1957年(昭和32年)に6両が作られました。 4枚折扉で軽快な感じです。




横浜市電 500型     526号車            国鉄横浜駅前

1928年(S3)から60両製造された横浜市電の代表的な大型単車(2軸車)です
横浜のような大都会でこんな古い単車を見つけて唖然としました。 でも、
この頃は単車の電車は横浜だけでなく、 いろんな所で走っていました。




横浜市電 600型(二軸単車)   609号車          国鉄横浜駅前

上記の500型のうち戦災をまぬがれた中から、戦後に改造を
受けた車両です。 窓が500型が1枚窓に対し、2段窓となりました。





京浜急行  1000型  1959年(S34年製)               横浜駅
その後この形式は正面貫通扉付きに改良されたそうです。




相模鉄道    6500型                        横浜駅




相模鉄道 5000型               横浜駅
少し分かりづらいですが、ボディーが床下まで回り込んで、いわゆる張殻構造の
車両でした。 保守上での手間がかかるなどにより長続きしませんでした。  
 .


再び東京へ



東武鉄道                            浅草駅




東武鉄道   1720型 ロマンスカー 特急 きぬ       浅草駅
東武のドル箱観光地 日光 鬼怒川 川治へと運びます。
表定速度では日光まで77.4km/hと高く私鉄の特急では近鉄に次いで第二位。
サービスではビュッフェやサロンルームを設けジュークボックスを設置したほか
冷房完備のとてもデラックスな車両でした。                    
 ..
私はキラキラしたサロンルームのジュークBOXをわざわざ覗き込んだものです。





東武鉄道   浅草駅にて                急行じょうもう号


国鉄電車  四景



山手線  103系   ウグイス色                      東京駅
私は初めて東京でウグイス色のこの電車を見たとき、「東京にきたぞ!」と
実感しました。 ビル街の高架を走る都会的な匂いをプンプン感じました。


余談 
     山の手 と 山手

上の写真のアップ


日本が戦争に負けた1945年から1971年までの26年間
ヤマテ線 と言ってた時期がありました。
連合軍から鉄道施設や道路標識にはローマ字表記もするよう
指示があり、国鉄がその時 「YAMATE」 と振ったためでした。

その後 横浜の根岸線に山手駅が新設され、混乱を避けるため
「YAMANOTE」 と以前に戻して現在に至ります。        *

小林 旭さんの♪恋の山手線♪は 「恋のやまてせん です。
これは当時の名残です。  しかし古すぎる話題ですね。      *





京浜東北線   103系    磯子行き                東京駅
横浜から先の根岸線は磯子駅が終点。 数年して大船まで開通しました。




中央線  と 総武線  幕張行き  101系電車        新宿駅
中央線のオレンジ色と総武線のカナリヤ色が並びました。




山手線   103系                   田端駅近く


田端機関区に少し寄り道します。

103系を撮るために立ち寄った田端は、機関区が見えたので衝動的に
降りてしまったようです。 ここで初めて
交流機関車と遭遇しました。



常磐線用 交直両用機関車    EF80 5号機     田端機関区
交流電機は
と思っていましたが、EF80は
少し
色系だったことが意外な感じを受けました。




EF57 7号機  直流電気機関車  (宇都宮区所属)    田端機関区

気になる電気機関車の一つ、EF57型に会えて大喜びしました。
前面に飛び出したパンタグラフが精悍で、迫力ある風貌が好きでした。





EF57は、当時の全14両すべてが
宇都宮機関区に配属されていて、 希少性がありました。




   EF13 26号機                         宇都宮機関区所属
ファンにはよく知られた話ですが。
この機関車の箱型ボディーは、EF58 26からもらったものです。
当初は凸型だったものを改良時に載せ替えました。さて58の方は
下の写真のようなボディーに変更されたことは言うまでもありません。
面白いのは車体番号が偶然に同じだったことです。

 参考  EF58型機関車


山手貨物線にて 
     2015年9月 画像追加



山手貨物線 
(現 湘南新宿ライン) EF15型機関車  新宿駅にて

拡大写真 ↓



EF15型機関車   山手貨物線    新宿駅にて

戦後1947年(S22)から202両製造され、旧型機関車で最多両数です

大都会の華やかな新宿で、黒い貨物列車が頻繁に通過する風景は
初めて来た私は、何かしらの不思議さを感じました。 「ここ新宿?」



新宿駅構内で  米軍燃料輸送列車が爆発炎上。

 1967年8月8日 朝1:45 当時はベトナム戦争真っ只中で浜川崎
から立川のアメリカ軍基地に航空用ジェット燃料を輸送する列車が
対向してきた貨物列車の信号無視による衝突事故により大爆発し
その日の首都圏のダイヤは大混乱しました。           
 . 
  文字通りベトナム戦争反対運動の火に油を注いだ形となって翌年の
新宿駅騒乱事件に続いたと言われています。             
*
最近この写真ネガを見つけて、古い昔の出来事を思い出しました。


余談ですがこの事故に巻き込まれた機関車はEF10型機関車でした。




EF10 1号機関車  
(国府津機関区所属)

昭和初期の1934年以後製造された国産貨物用機関車
この頃は山手貨物線他 首都圏に多数配備されてました。

この写真は 東京の電車を撮りに上京するとき 沼津機関区
だったと思いますが、上り急行「なにわ」から撮影しました。



東京都電です



東京駅前を走る都電  3155号車       都電の基本型のような車輌
28系統  都庁-東京駅-日本橋-木場-錦糸町




東京都電   7000型                     東武浅草駅前
22系統   南千住-浅草-日本橋-銀座4丁目-新橋





東京都電  8000型             権田原 青山1丁目間 (外苑東通り)
右端に東京タワーが見えます。  今でもみえるのかなぁ。
1956年(S31)ごろ131両が作られたが、都電廃止の流れを想定し
比較的安価で、簡易な設計だったためよく揺れたらしいです。




東京都電 1200型    1206号車           同  外苑東通りにて
1937年(S12)〜1942年までに109両がつくられ、
戦災をくぐり抜けたのが64両。この電車はそのうちの1両です。



その時撮った 銀座の夜風景



昭和40年の銀座4丁目               有楽町方面に向かって

丸い三愛ビル(S38建設) と 森永の地球儀ネオン

三愛ビルには三菱電機のショールームがあってネオンは三菱マークです。   .
力道山がいたころTVのプロレス中継は三菱電機がスポンサーで、CM画面では
絶えずビルが登場し、和光の時計台と並ぶ銀座のランドマーク的存在です。 
 .

地球儀ネオンは森永ミルクキャラメルで昭和28年〜58年まで点灯していました。
やっぱりTVのCMでおなじみで、昭和32年にソビエトが世界初の人工衛星を  
 .
打ち上げたとき、リング状の部分に同じ形の衛星を取付られて話題になりました。


テイジンのネオンが写真右の和光のビルの上に僅かに写っています。 私は .
小さなマス目を自在に変化しながら美しく光るパネルに見とれていました。  
 .
有名なグラフィックデザイナーの作品だったらしいです。 さすがは銀座ですね!


このページはウィキペディア等を参考にしながら
記憶に基づいて作成しています。





東京  豊洲の眺め    1960年 昭和35年6月18日

57年前の中学校修学旅行の写真から  晴海埠頭から



左端の並んだ煙突は東京電力の発電所   丸いタンクから右は東京ガス

こちらの晴海埠頭は可笑しなぐらい閑散としてました。 なんでこんなところに
連れてきたのかと思うほどでした。  戦後復興が進み、電力はガスの需要に
応えるべく昭和29年から整備が進み、東京の活力源を見せようとの思惑ですね。

それより私はTVの月光仮面がバイクで走るシーンで
よく見た風景だったので嬉しくなった記憶があります。
つまりは晴海で撮影されていたのですね。




50年前?の東京タワーからの展望写真です



東京湾を眺めます。


少しアップで見ましょう。



写真中央部は浜松町あたりです。 手前に増上寺の三門。





品川沖の船が黒船のよう。




東京プリンスホテル (手前)  汐留 浜離宮 (写真上部)
数年前に亡くなった父が写した写真です。 

首都高速や浜松町の様子からから、東京オリンピック直後の昭和40年〜42年あたりの撮影と
思われます。 もしはっきりわかる方がいらっしゃれば教えてください。              
 .



東京の電車  END


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2012.12.20     画像追加(田端)
2013.3.30  画像追加(東京タワー)
2017.10.25 画像追加 晴海から豊洲