思いでの箱                               撮影 広瀬和彦

国鉄東海道本線 山崎付近        昭和41年10月撮影



EF58型電気機関車の引く旅客列車

背景は山崎の合戦で有名な天王山です。
古来より山崎は要衝の地で現在もなお
名神高速道路 東海道新幹線 阪急京都線などが集中しています。 左のアーチ橋が
高速道路、右端の門型鉄構は阪急京都線です。          .            




80系湘南型電車   
 野洲や米原あるいは姫路 相生ゆき快速電車として運用
乗車口デッキがあって引戸をガラガラとあけて室内に入るこの電車は、国鉄の客車の
雰囲気を引きずっていて私は大好きな電車でした。一説に昭和25年東京と沼津間で運用
されると言うのでミカンとその葉をモチーフにしたという湘南色は、旧来の国電の暗い茶色
から明るいカラーとなり.戦後復興の人々に希望の光を投げかけたと言うことです。   .
                                 (次の写真の電車が湘南色です)




 新登場  近郊型 113系電車                        .
80系湘南型に替わって登場したのがこの113系電車でした。聞けばこの電車もまもなく消え
るとか。新聞によると首都圏では3月中に全廃になるそうです。時代は遠くなりにけり、   .
このツートーンカラーの意味を知っている人も知らない人も大変お世話になりました。    .
 
  湘南カラーについて、読者から指摘がありました。
ミカンとその葉のイメージ色だというのは俗説だとのことです。

製造当初は濃い朱色であったため評判が良くなく、後にミカン色に変更された
との技術者の証言があります。 優しい色に塗り替えての後付けの理由ではあります
が、国鉄も以後、湘南をイメージしたカラーだとPRしました。 「思い出の箱」もそうと
信じていました。 終戦直後の世相の中で明るいイメージで颯爽と走ったのは紛れも
無い事実であり、知らなかったことにしておきます。          2014.4 記載  、
                 (ウィキペディア 湘南電車を参照ください)




修学旅行専用電車 「きぼう」    155系

この電車は関西地区の生徒用で、東京からは「ひので」がやってきました。
いろんな地区にも入線できるよう屋根は低屋根構造でした。          .
私もこれに乗って東京へ修学旅行に行きました 昭和35年のことでした。
この年はいわゆる70年安保闘争の年で、全国で反対闘争が展開されました。



急行 「立山」   471系交直両用電車

アズキ色の電車で大阪と富山を往復しました。




 急行「なにわ」 東京行き     急行用 153系 東海型電車

東海道本線の花形電車80系(湘南型)に替わる長距離電車がこの東海型でした。
電気機器はほぼ101系(当時の山手線の103系の先代、大阪環状線の電車)と同じで
台車関係はこだま型151系の空気バネ台車と同じものを使っていました。東京大阪間に
「なにわ」のほか「いこま」もこの車両が使われました。                     .
この急行「なにわ」も「いこま」も新幹線のあおりでしょうか、ヨンサントーの改正時に廃止
となりました。                                              .



急行 「鷲羽」   京都 〜 宇野         東海型 153系電車 




急行「加賀」    金沢〜大阪  471系電車




EF58146号機 旅客用直流電気機関車




EF6059号機

2両の固定連結で知られた貨物用EH10型(愛称マンモス)に匹敵する性能の機関車。
この写真も貨物列車の牽引のように見えます。




特急 「みどり」   大阪〜熊本・佐世保・大分  82系ディーゼル車

ボンネット型先頭車のキハ81型の2次車キハ82はこのように貫通型になり分割併合が
可能となり非電化区間の多かった全国津々浦々に特急網を張り巡らしたのでした。  .
この先頭車のデザインは斬新でファンのみならず広く愛された車両でした。       .

この写真は運転区間からすると近くの向日町運転所から大阪への回送と思われます。



特急「雷鳥」    大阪〜富山・金沢    481系交直両用電車

昭和39年 東北線や北陸線の特急用に製造された電車でこだま型電車特急の交直両用版
と言ったところです。 ボンネットの眉毛か髭毛ような目印が愛嬌でした。            .



特急「しおじ」    新大阪〜下関     181系電車

昭和39年東海道新幹線が開通し東京から大挙関西に移籍したこだま型特急電車151系
を勾配区間の多い山陽線や上越線向けにギヤ比を変更したのが181系電車です。     .
写真の先頭車はかつて電車特急「つばめ」の展望車として走った広窓のパーラーカーです。



特急「やくも」     新大阪〜浜田     82系ディーゼル車




特急 「つばめ」    名古屋〜熊本       481系交直両用電車
東海道新幹線の開業のとき新大阪〜博多となり、
昭和40年には名古屋〜熊本になりました。  .

プロ野球球団 ヤクルトスワローズは元はと言えば国鉄スワローズ。
新幹線が出来るまでは特急つばめは日本最速の優等列車の代名詞であり
国鉄のシンボルです。 その特急つばめが、なんで名古屋熊本なのかと
情けなく思ったのでした。                             .

時代は変わって 九州新幹線では名誉挽回し活躍していますね。





寝台特急「あかつき」  機関車はEF65501   新大阪〜西鹿児島・長崎 

当時、関西で日中に見ることができたブルートレインは「あかつき」だけ。
  .新大阪から向日町運転所への回送列車です。 それでもワクワク撮影でした。

500番台はブルートレイン用とし制作されました。この時期にはまだ塗装が
一般車と同じ側帯なしのデザインなので、少し貴重な記録でしょうか。

2014年12月19日 東京駅開業100年のイベントで走った特急「富士」
牽引したのがこの 501号機でした。 48年前の写真です。



山崎のすぐ近くに向日町運転所があります



  向日町運転所の151系電車     昭和40年6月撮影

前年10月に東海道新幹線が開業し、東京から多くのこだま形電車が向日町に
転属してきました。 40年10月には能力アップした181系に改造を受けますので
つかの間の151系としての向日町でのスナップとなります。            .
「つばめ」「はと」  は 新大阪〜博多まで運行
「ゆうなぎ」     新大阪〜宇野を走りました。

「ゆうなぎ」のヘッドマークの下の狭軌速度記録のチャンピオンマーク
1959年 (昭和34年) 東海道本線 島田〜藤枝で記録したものです。
もちろん「特急こだま」のヘッドマークでの記録です。





東海道線からみた阪急京都線特急     2800系 6連 
このあたりは決まって時速 105km/h前後で走行しました。
今も昔もこの区間のデッドヒートは気になる光景です

阪急のデイ100が特急つばめを追い抜いたという伝説も残っています。


東海道線から 0系 新幹線。



名神高速の跨線橋の下からすぐそばを走る新幹線を見ました。
目を凝らして見ると京阪電鉄の宇治川と木津川の鉄橋も見えてます。
東海道新幹線は開業後2年目の姿です。

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                               東海道本線 山崎付近   END


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H17.12.27   制作
H24.10.7    改訂
H27.9.26  画像入替 113系
H27.12.17  部分改訂