思い出の箱                 2012.10.18 改訂
.                     1965年(昭和40年)10月25日撮影

     
別府鉄道の思い出   (兵庫県加古川市)
    
   べ ふ               
 昭和59年に廃止されました



   
6号機と客車ハフ7      国鉄山陽本線  土山駅にて  

    別府鉄道との出会い
 昭和37年 (53年前)  高校の修学旅行は山陽本線を使っての九州旅行でした。
大阪駅を出発。 一路九州へ西下し 程なく兵庫県下のとある駅で臨時停車。時間合せの
一時停車だったのでしょうか、ふと見るとチッチャな蒸気機関車が貨物を押したり引いたり
していました。 生れてはじめて見る軽便鉄道でした。 「こんなものがあるんだ!!」


 それから3年後、昭和40年の秋 まもなく引退する豆汽車があるとテレビで放映しているのを観ました。  「あっこれだ!」 甲高い汽笛、ゆさゆさ揺れる客車、そしてどこかユーモラスなバック音楽が流れ、それが 加古川にある「別府鉄道」だとレポートしています。
  
私は矢も盾もたまらず出かけることにしました。   

                                昭和40年10月25日のことでした。




 

                          
昭和37年の時刻表から

別府港駅のたたずまい


  
                         別府港駅
駅の風情は 明治か大正時代のよう

もう少し アップで見ましょう



駅の名は別府港でも駅から船が見えるわけではありません。
港はもう少し先にあります



右の奥に工場が見えます。その向こうは海です。
この工場は、別府鉄道の親会社の多木製肥所(現在 多木化学)です。
同社の製品輸送のため大正12年に山陽本線土山駅まで鉄道が敷かれたのが起源です




                   
客車 ハフ7
   この車両は大正15年 汽車会社製  神中鉄道 三岐鉄道を経て昭和34年譲受け,
   もとは二重屋根でしたが防水シートで覆われたので一見シングル屋根に見えます。
※  神中鉄道 (じんちゅう)は神奈川県の相模鉄道本線の前身です。

この車両は大事に相模鉄道で保存されています。

    .かしわ台車両センターへリンク .



駅から北方を眺めたところ
腕木信号機のむこうに、山陽電鉄の築堤が見えます。
築堤の中央に別府鉄道と立体交差するガードが見えます。





実は、現在も山陽電鉄との立体交差は当時のまま残っていて道路になっています
お分かりにくいですが、むこうは山陽新幹線、手前が山陽電鉄の石積みの橋脚です。




石垣に往時の名残が

この石垣こそかつての別府港駅の一部で昔の名残をとどめています。
ちっちゃな黒い二階建ての家なんですが、そこに踏切があって昭和40年
当時にもあったようなかすかな記憶が残っています。           .

残っているといえば、白い看板に「別府鉄道」とあるように、いまも健在で
鉄道業務こそされていませんが、運輸関係の業務をされています。   .


昭和40年当時の車両を記録写真から見てみましょう

 
     現役バリバリの6号機     大正10年 日本車輛 製

  飯山鉄道(現JR飯山線・長野県)の機関車として製造。飯山鉄道が昭和19年
  に国鉄に買収された時、西武鉄道に移籍し、その後昭和31年に別府鉄道に移籍
  し昭和41年まで活躍しました。
                    








6号機 運転台から   正面は給水塔。 柵の外は別府港駅の建物。




5号機関車      大正14年 日立製 成田鉄道 北丹鉄道をへて当社へ
     
神代鍬印(じんだいくわじるし)
社章は親会社の多木製肥所と同じ (すき)を2つ重ねた図案。
(鋤・すき は農具のひとつでシャベルといっていい)
多木肥料の名で明治18年創業の昔から知られた会社です。 多木化学梶i大証 1部)





    
               5号機

   

                5号機                        6号機




   
 キハ 2 号           昭和 9 年 加藤車輛 製
フォードのガソリンエンジンを搭載した全長7.4mの小型レールカー .
   日本中の多くの車両が戦後になってディーゼルに載せ替えた中で最期まで
   ガソリンエンジンで通しました。 同型のキハ1号とともに昭和40年9月に
   廃車されました。    (ということはこの写真、廃車1ヵ月後になります). 

 

  木造貨車  ワフ 101  かなり古いものと思われますが 資料がありません。
                   ワフのフは車掌室付きの意味です。そういえば開き戸
                 が見えますが、狭くてホンマかいなと言う感じ。

「旧型貨車保存図鑑」というサイト内のリストにこの写真を採用いただいています。
それによると 1890年 明治23年 英国オールドベリー社製の由緒ある車両との
記載があります。どのように調査されたかは不明ですが、貴重な写真資料との事で
うれしく思っています。
        http://www.freightcar.jp/cfca_index.htm
すこし難解なサイトですが カテゴリNON JNRで日本各地の私鉄旧型貨車が閲覧できます



  
ディーゼル機関車 DC301         土山駅西方にて

  昭和27年 三菱重工製  元 江若鉄道で使用 昭和39年に当社へ
                写真は10ヶ月後のものとなります。

この場所は現在このようになりました。線路はJR山陽本線




また加古川市のとなり 播磨町の郷土資料館のわきに廃線跡があり
ディーゼル機関車と客車 ハフ5 が保存展示されています。     .





  お断り  このページを作るに当たり各車両の車暦は
昭和44年発行   「鉄道ピクトリアル 私鉄車両めぐり 第10分刷」
                       を参照いたしました


この日 私は別府鉄道から国鉄加古川駅に向かいました

別府鉄道は別府港駅から北東の山陽本線土山駅に向かう土山線と
西に向かって国鉄高砂線(廃止)の野口駅に接続する野口線がありました
私は野口線 高砂線を経由し加古川駅と向かいました。          .


加古川駅で入換作業中の 蒸気機関車 C12 230号機






C12 230号機は現在愛知県西尾市の西尾公園に展示されています
昭和14年製  宮原、米子 西舞鶴 加古川を経て 中津川 木曽福島機関区
に配属後、昭和49年に廃車となっています。このページを作るにあたって調べた
ところ保存されていることを知りました。                        .


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