思い出の箱                         昭和42年8月  43年3月 撮影 A

炭鉱で働く機関車 A                   .
            
三菱鉱業 美唄鉄道 (びばい)  (北海道)



入換作業中の4号機             国鉄美唄駅構内

蒸気機関車の走っていた炭鉱関連私鉄    .

昭和42年当時(1967年)の石狩 空知地方
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C

D

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F

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明治鉱業 留萌鉄道

雄別炭鉱 茂尻鉱業所

三菱鉱業 茶志内

北星炭鉱美流渡専用鉄道

夕張鉄道

三菱鉱業 大夕張鉄道

北海道炭鉱汽船 真谷地

羽幌炭鉱鉄道

三菱鉱業 美唄鉄道
石炭エネルギーの命運が決していたこの時点でも多くの炭鉱に専用軌道が走っていました。
すでに廃止になった路線も数多くあり、残るこれらもまもなく廃線に追い込まれてゆきました。




4号機

    明治の初め、外国の地質学者によって炭層が発見され、大正昭和にわたって
三菱や三井の資本で鉱山が引き継がれました。 美唄の町はこうして栄えました。




美唄鉄道と言えば動輪5つのE型のタンク機関車が鉄道ファンの目当てでした。




   
    5つの動輪がたくましいE型タンク機関車   2号機




美唄駅に隣接する機関区にて


   

2号機 は美唄市にて保存公開されています。






弁装置 と 空気圧縮機

  4144号機と思われます


 私は模型をやりませんが
この機関車なら作りたいと
思います。
 

 「いい感じやなぁ」

 40年たってもこの写真を
撮ったときの気分が残って
います。




4137号機




4137号機


MEMO

美唄鉄道のこれらのE型タンク機関車は国鉄4110型です。

明治45年 奥羽本線の急勾配用にドイツから輸入した4100型を板谷峠の 
 .
庭坂機関区に配置しました。この機関車を改良し国産化したのが4110型です。
 .
4110型は奥羽本線のほか鹿児島本線(現肥薩線)の大畑越えにも活躍しました。

美唄鉄道は4110型を自社でも発注し、 2 3 4号機がそうです。 また国鉄で
余剰になった機関車を譲り受けました。 4122 4137 4142 4144号機です。


特徴的なサイドの水タンク

大きな馬力を出すには広い火床が必要となり、小型の機関車なので動輪よ
り上に火床を乗せました。従輪がなくしかも狭軌のために止むを得ずですが、
そのため重心が高くなり、その対策としてこのような水タンクとなりました。  
.
小粒ながら大出力でその性能は大いに発揮したもののスピードが遅いなどに
より他に転籍しても能力が発揮できず、次々と廃車になりました。      
 .

オール動輪のE型タンクはその形態ゆえに鉄道ファンには大人気でした。





4122号    昭和43年3月18日撮影





4122号機
 北海道江別市のの個人が4号機と共に保存されているとのこと。



このあと 4年後(昭和47年)に廃線となりました。



雨中を鉱山に向け走る2号機           美唄駅 北東 約800m地点
昭和42年 8月23日撮影





2号機関車は 現在美唄市の東明駅跡に保存展示されています。




美唄市の人口   平成22年  26,500人   ピーク時  昭和29年 91,400人



炭鉱で働く機関車      美唄鉄道   END


夕張鉄道  大夕張鉄道
古典蒸気機関車 (美流渡・雄別)
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2005.5.9    制作
2011.6.9    改訂