思い出の箱 昭和42年4月29日  撮影
近鉄 信貴線 52年前 大阪東部 高安山麓を走ります。
      し  ぎ せ ん --



大阪線河内山本駅から分かれて信貴線が高安山に向かいます。

写真右端のケーブルカーに接続し信貴山へと参詣客を運びます。


昭和 5年 信貴山の朝護孫子寺の参詣者のためにケーブルと同時に
開業しました。 ケーブルと信貴山の間には戦前に電車走った歴史も
あります。 その廃線跡は自動車道となりバスが連絡しています。
  .





山に近づき急勾配を登ります。 すぐ服部川駅です。








ただ一つの中間駅 服部川駅に停車する電車

信貴線はたった2つの駅でも沿線住民にとって大事な路線となっています。




この日は祝日、釣堀には人がいっぱい。  (1460型ユニット編成)





終点 信貴山口に向かう1460型電車





            大阪上本町行き準急電車          1463号車

太平洋戦争中にケーブルカーが鉄材供出で廃線になりしばらくの間
信貴山口駅は東高安駅と改名され、行き止まりの駅でした。      .

昭和32年 ケーブルカーが復活し、同時に上本町〜信貴山口間に直通
の準急電車が走りました。 この電車に新車の1460型が採用されました。
当初は肌色に空色の帯と言った明るい電車で、華々しく登場しました。  

近鉄の高性能電車の先駆けとなったMMの固定編成、サッシなしの下降窓
両開き3扉、貫通通路はとても広く、そして台車はシュリーレン型。    .
私は近未来のような明るく斬新な電車だったのでワクワクしながら乗った
ものです。                                     .
小学校の窓から  昭和32年の思い出 (6年生) 

2階の教室の窓から真東の遠くの山に豆粒のような真っ白な電車ががゆっくりと
停車し、発車して行くのが見えました。 「服部川の駅が見える!」。 最近走り出し
た電車は、山を背景にして肌色のボディーは白く見えました。            .
このことを級友に教えても「ホンマ!」
(ホント!)と言ってすぐ去って行きます。  .
私はこれを見るのが楽しみなのにな。                           .
    
(学校から直線距離で約3.5Kmほど離れています)



   

大阪上本町からやってきた準急電車    1480型の1480号車 



   

終点 信貴山口駅  ケーブルカーの乗り場は写真左端     撮影日 S42年頃

山本〜信貴山口の折り返しピストン運転は旧型電車です。 両端運転台の1300型
この電車は昭和初期のもので近鉄大阪線の前身 「大軌」時代のものです。




生駒山脈をバックに河内平野を行く信貴山線
目の前の田んぼ、 現在はすべて宅地化しています



   
高安山と信貴山鋼索線(ケーブルカー)   中景の白い部分は工事中の外環状道路

はげ山の高安山   家庭の燃料の薪(まき)に使うため山は荒れ放題。戦時中に
こう成ったと聞いたことがあります。 現在は緑いっぱいの豊かな山になりました。
当時はケーブルカーの線路がくっきりと見えてました。 木がないからです。


   信貴山口駅付近からは大阪平野の大パノラマが広がります。
                       
      高層ビルなどなくて、通天閣 天王寺ステーションビルなど
     くっきりと見ることが出来ました。 もちろん大阪城もよく見えました。

      現在も見ることは出来ますが、周囲は高層ビルだらけですぐには判別できません。



拡大しました



  

   八尾市小阪合付近から金剛葛城を眺めます。

これらの写真は50年前のもの。この付近も宅地化が高度に進み、
河内平野が緑豊かだったのは、こんな写真のみが知る事実です。


近鉄信貴線       END

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2005.3.13   制作
2011.6.21   改訂
2015.9.10   改訂