思いでの箱              急行 「大和」の記録

幼き頃の思い出風景   昭和42年5月5日の記録
国鉄和歌山線   下田駅付近 (近鉄五位堂駅近く)  

  (平成16.3.13に香芝駅に改称)

    鉄道ファンというのは、ほとんどの人は物心ついた頃から電車や汽車が大好きでした。

 
私も幼い頃、乗り物にはいろいろな思い出がありますが、これから紹介します
 下田駅南方500mほどの地点は、こここそ私のファン暦元年と言うべき場所です。



オーバークロスするのは近鉄大阪線   列車は急行「大和」


 小学生の頃の思い出                               

 祖母の家にいると、下田駅を発車する汽笛の音が風に乗ってよく聞こえてきます。  
 汽笛が聞こえてくると、私は何をさておき一目散に村のはずれの小橋のたもとまで
駆け出します。まもなく田んぼの向こうにシュッポシュッポと汽車がやってきました。
 少し向こうでは近鉄電車が風景に溶け込むように走っています。やがて電車は坂を
登って先ほどの汽車の線路の上をまたいで行きました。
  
    一時間ほどしてまた汽笛の音が聞こえました。
     
                   私はまた駆け出して行きました。




 油圧式変速機付きディーゼルカー「キハ17系」は昭和28年に全国に先駆けて、王寺から和歌山線、桜井線経由奈良までの区間に投入されました。起伏が少なく列車密度が高くないので、こういう線こそ無煙化に打ってつけだったそうです。 複数車両の総括制御技術と変速機の性能に自信を深めた国鉄が、 量産車両として奈良線や越後線、房総線などにもこの年に多数配置しました。


  当時はブルークリーム色のツートーンカラーで今までの国鉄車両にない明るい色で小学生の私は弟とともに母に連れられて隣町の大和高田市へ買物に行くときは、近鉄を利用すれば早く着くのに、わざわざこの新車のディーゼルカーに乗っていくのが楽しみでした。




                 貨物列車も時々通ります。

下田駅の待合室で列車を待っていたとき、入ってきた列車が貨物列車でした。
あれっ 変だなと思ったそのあと、客車が現れました。   「なぁんだ!」     .
つまりは客貨両用列車、いわゆる混合列車が和歌山線にもあったと言うわけです。



急行 「大和」 のこと                                       

昭和37年3月から今まで関西本線経由 東京〜大阪(湊町)の夜行列車が、王寺駅から
分かれて和歌山線経由和歌山市駅行が設定されました             
         .



 C58の牽く 急行「大和」      東京発和歌山市行き夜行寝台急行
                
ここまでくると実際に東京から来たのは2両目のハネのみです。他は
王寺から湊町(JR難波)へと向かっています。              .

注  この列車は急行「大和」と記載していますが、正確には急行ではありません。

確かに始発の東京を出るときは湊町・和歌山市行き寝台急行だったのですが
関西線王寺から和歌山線に入ったとたん普通列車に化けました。当然和歌山まで
一部を除いて各駅停車になっています。                        . 

むしろ普通列車に組み込まれたと言うべきでしょうか。和歌山市駅を夕方出発する
ときも普通列車で出発しています。   車両はナハネフ11              .

寝台車のサボは急行となっていて行く先も東京となっていると思うのですが ?    .
どなたかそのへんの事情をご存知の方教えてください。              
 ..
  
  特報  疑問が解けました   平成17年10月14日                     .
 昭和43年の和歌山市駅での急行大和の写真をご提供くださった方がありました。
間違いなく和歌山市駅での「大和」は上りも下りも寝台車に<急行>のサボをつけて
いたことがわかりました。                               
 .
                                 
.
写真と情報を提供くださった飯田正明さま(大阪 岸和田)本当に
                                     ありがとうございました。


                                   資料写真にリンクします。    
                         和歌山市駅での写真と「大和」の時刻表を掲載しています。




                 村に通じる小道の踏切    改正池横


 村の西のはずれ、家々が途切れるところからは 近鉄南大阪線が遠くに走るのを見るこ
とが出来ました。 昭和27年頃のことですので母親はダイテツ線だと教えてくれました。
    かつては大阪鉄道だったんですね。私はどこへ行く電車か分からないので遠い知らない所、
不思議の国に行く電車のようでした。 阿部野橋行とか橿原神宮行だったんでしょう。


 
 二上山のふもとを行く近鉄南大阪線
                     
             ある年の年賀状に使用したイラストです。 この子は私です。
                   この場所もビッシリと家が建ち昔の面影はありません。




                    万葉集にも歌われる二上山をバックに。
    
    かつては火山だったこの山の凝灰岩は広く古墳の石棺に使われました。
     ここから程近い有名な明日香の高松塚古墳の石棺もやはり同じものです。
山麓にはかつての石切場跡が何ヶ所も残っております。    .
   
                                  



      近鉄特急          五位堂検車区の出来る前の風景です



 思い出の地を訪ねたあと
    和歌山線 吉野口駅 北宇智駅 隅田駅と移動しました。


 追録   和歌山線  吉野口  北宇智  隅田   
         
         関西線王寺駅より南下し葛城、金剛の山裾から 五条を経て、
       紀ノ川沿いに和歌山までつながっています。            .

  平坦ながら、一ヶ所吉野口から五条にかけて勾配区間があり
        大阪近辺では珍しいスイッチバック駅があります。
(現在はスイッチバックしません)




                 吉野口〜北宇智     吉野口駅 南方





                              吉野口駅 南方
この写真は 実はレンゲの花がとても美しくて、カラーフィルムで
もう一枚撮ったのですが、オレンジ色のフィルターを装着したことを
忘れて撮りました。 そのフィルムは失敗作として捨てたのです。

今なら補正すれば問題無かったのですが、とても残念です。
そのイメージを着色処理で再現しました。

こんな感じに写る予定だったんです。


2014.5.12追加画像

フォトショップによる着色です。
実はこのページのカラー写真はすべて、オレンジフィルター付きで
撮ったもので、よく残ったと思っています。 補正して発表しています。




北宇智までしばらく登り勾配が続きます。



スイッチバックの北宇智駅
この列車はさっきまで右側のホームに停車していましたが、こちらまでバックして
これから次の五条駅に向かって左側へ向います。 あとは一気に坂を下って行く
だけです。                                       
 .



急行「はやたま」 と キハ35の普通列車の交換風景    北宇智にて
「はやたま」は名古屋から和歌山線経由新宮 勝浦方面行きの急行です。ほかに名古屋発
白浜行き急行「はまゆう」があり、いずれも温泉旅行客向けの観光列車のようです。    




  C57119 (和歌山機関区)               隅田駅(スダ)東方




C57 119号機関車   客車の台車のTR11型が今となっては懐かしいです。





和歌山と奈良の県境

珍しいコンクリートのアーチ橋に
差し掛かったC58の旅客列車 
 .



  隅田 〜 大和二見 間











快速を飛ばしてC58の牽く普通列車は風を巻いて通過してゆきました。

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.     スイッチバックの駅   北宇智駅の廃止前後のレポートです。 

「幼き頃の思い出風景」  END

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2003.5.17   H15.5.17   作成
2006.2.11   H18.2.11   改定
2014.5.12   H26.5.12  着色画像追加
H30.10.19     改訂版