思い出の箱 2010年9月13日 制作 A フォース鉄道橋 と テイ鉄橋の崩壊 |
2015年 世界遺産に登録 2010年9月7日 撮影 |
英国が誇る鉄道遺産 スコットランドのフォース鉄道橋 |
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渡辺嘉一博士 ![]() |
この橋の構造を説明するのに必ず出てくる写真です。 建設当時に世間に納得いく説明のために撮影された もので、面白いのは中央に乗っている人は日本人 なんです。 長野県出身の渡辺嘉一さんで東大(工部大学校)を 卒業し英国留学されていたときに、研修目的でこの 工事に参加され、写真のモデルになったと言うことです。 渡辺さんはその後、石川島重工、京阪電鉄 京王電鉄、 関西ガス他の社長などを歴任し日本の造船や建築界に 大きな足跡を残されています。 大阪フィルの故 朝比奈隆さんの父でもありました。 ウィキペディアから |
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写真資料は、あまりにポピュラーなので、ある本から無断借用しています。 |
望遠レンズで覗きました。
ディーゼル機関車の旅客列車が通過します。 おそらくロンドン行き長距離列車でしょう。
これはディーゼルカーのローカル列車。 3両がワーレントラス橋部分に乗っています。
このように建設後120年経った現在も、堂々と現役で頑張っています。
メモ 完成した1890年は日本では明治23年に当たります。
この年に明治憲法が発布され第一回帝国議会が開かれました。。
その前年には東海道本線がやっと東京・神戸間全通しています。
この白いものは?
これは錆び落としやペインティング作業のための覆いのようです。。
現役続行には、それなりの保守が大変です。鉄橋の保守のため白い覆いや足場が 常に存在します。 この作業は100年以上続いています。 そしてこれからも。 . イギリスのことわざ "like painting the Forth Bridge" 終わりのない仕事を表すのに「フォース橋のペンキを塗るようなもの」と言います。 |
鉄は炭素の含有量により鋳鉄 錬鉄 鋼鉄と性質が変化します。 当時は鋳鉄と錬鉄 を使用する状況で使い分けていた頃で、鋼は強靭だが錆びやすく加工しにくいとして、 大きな構造物には使用されたことがなく、その性質が未知の新素材だった訳で、むしろ 錬鉄の方が粘り強いとされていました。たとえば1年前に完成したパリのエッフェル塔すら 錬鉄を使用していました。 設計者はその強靭さを実験で証明しながら政府にその使用基準の緩和を認めさせて、 やっと鋼鉄の使用許可を取ったほどでした。仮に錬鉄でこの橋を作るとしたら重量が倍と なり、物理的に作ることが出来ないといわれています。 半導体や炭素繊維、光ファイバーほか、科学技術の発展と共に私たちの生活、社会が 世界が変化してきたことを実感していますが、当時も同じことで、鉄、石炭の豊富な産業 革命の発祥の地「世界に君臨する英国」ならではの大事業だったといえます。 |
完成 | 1890年3月 | 明治22年 | |
橋の全長 | 2530m | 資料にばらつきがあり約2500mとします。 | |
支柱間のスパン | 510m | ||
橋桁の高さ (水面から) | 48m | ||
主塔の高さ 〃 | 137m |
建設当時にはあまりの馬鹿でかさに 畑違いの芸術家は「この世で一番醜悪な鉄の怪物」などと
批判しましたし、技術者の間でも過剰設計だ、資金の無駄使いだとの指摘も大いにありました。
車両重量が桁違いにに重くなった現在でもなお使用できるのは、この充分すぎる強度のおかげで
もあるんですが、それまでしても建設に踏み切ったにはそれなりの事情があったのです。 .
その事情とは、それ以前の19年前の1878年に完成するも、わずか2年足らずで
落橋するというテイ鉄橋の悲劇と大いに関係しています。 .
テイ鉄橋へと向かいます。
フォース橋から北東へ約60Km 列車で向かいます。
フォース橋南詰め Dalmany駅(ダルメニー)
余談ですが .
橋の下で偶然この駅の存在を知り、道を尋ねると石の橋脚のすぐそばから階段が
あり、登ると地図にも載っていない小径が現れて十数分で駅にたどり着きました。
村人のみ知るような近道で秘密めいていて、うれしくなりました。 .
フォース鉄橋を車窓から眺めます。
鉄橋から北へ2つ目 inverkeithing駅 (インバーカイジング)にて
ディーゼル急行列車、 これでテイ鉄橋のあるダンディーへ向かいます。
車両は クラス170型 最速160km/h 1998年以後製造 アルミ合金車
長距離列車 IC125
ロンドンとスコットランドを最速200km/hで飛ばすディーゼル機関車の
列車です。 前引き後押しのプッシュプルでぶっ飛ばします。 .
全国を走る代表的ローカル列車 クラス158型
国鉄民営化(1994年以後)に先立ち、機関車牽引の旅客車両を
ディーゼル列車に置き換えが始まった頃の車両です。
切符を買っても改札口には駅員が立ちません。
大きな駅は別にしてみんなそうですが、車内検札はきっちりあります。
ちょっと寄り道
ゴルフの聖地。 セントアンドリューズはテイ橋の近くです。
最寄り駅は ルカーズ駅 (Leuchars) ここも大荒れでした。
テイ鉄橋の少し手前にあるセントアンドリューズへはこの駅で降り、
バスで15分ほどの距離。 世界有数の名プレーヤーがやってくる駅は
驚くほど田舎の駅でした。 . .
ウィリアム王子とケイトさんはここの大学出身。この駅を利用して
いたと思います。 . .
ゴルフ競技の世界的総本山 R & Aゴルフクラブ と18番ホール
The Open(全英オープン)で知られたクラブハウスです。
ニクラウス ワトソン パーマー そして青木 中嶋など
世界中の名プレーヤが渡った石の橋。 見ただけで身震いしました。
身震いしたのは気温の低さと、この雨混じりの風でもありますが
それでもこうしてラウンドする人もちらほら見えました。
現在の2代目 テイ鉄橋を渡ります。
北海から深く入り込んだテイ湾を横切るように架かっています。
テイ橋の中央部を走り抜けます。
テイ橋は途中から大きくカーブしてその先がDundee ( ダンディー) の街
1887年(明治19年)建設でフォース橋よりも古い二代目テイ橋。今なお現役です。
鉄橋を渡ってまもなく ダンディー駅へ到着します。
嵐の夜の初代テイ橋の落橋
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事故当時の写真 | 事故を伝える当時の絵画 |
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国王ヘンリー8世の肖像画 ハンス・ホルバイン画 (1497〜1543) ドイツの画家で一時期 イギリス国王の宮廷画家となり多くの肖像画を残しています。 この作品もその一つ。 この足はまさしくフォース橋ですね。 |
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